『日本ロボット戦争記1939〜1945』を読む

日本ロボット戦争記1939‐1945

日本ロボット戦争記1939‐1945

1 日本も一つ科學省を設置せよ――まえがきにかえて
2 この兵器は人造人間のやうに歩く――1939(昭和14)年
3 これが具體化された人造人間だ――1940(昭和15)年
4 ロボツト化が兵器界の科學新趨勢をなす――1941(昭和16)年
5 ロボツトの機械は不死身である――1942(昭和17)年
6 私の欲する新兵器――人造人間――1943(昭和18)年
7 Roe-but or Rah-but――1944(昭和19)年
8 ロボットにあらざる限り御責任あるは明なり――1945(昭和20)年
9 驚くべき非科學的民族である――あとがきにかえて

 まったく別の、もっと最先端のロボットについての本を探していて、ふと目に入った。そこでおれの頭に浮かんだのはニ・二六事件の獄中記に「ロボット」の語が出てきたことだった。自分の日記にもメモしてある。

然るに今の日本は何と云ふざまでありませうか 天皇を政治的中心とせる元老、重臣、貴族、軍閥 政党 財閥の独裁国ではありませぬか、いやいや よくよく観察すると この特権階級の独裁政治は 天皇をさへないがしろにしているのでありますぞ 天皇ローマ法王にしておりますぞ ロボットにし奉つて彼等が自恣専断を思ふままに続けておりますぞ

『二・二六事件獄中手記・遺書』を読む その2 - 関内関外日記(跡地)

 日本人にとってロボットとはなにか。どのように考えられてきたのか。学天即から風船爆弾までロボットといえばロボットだ。児童漫画に出てくるのもロボットならば、豆潜水艦だってロボットだ。この本は1939年から1945年まで、いかにロボットという語が新聞や雑誌に出てきたか、小説家が題材としたか、あるいは実際の兵器として実用化されてきたかということを、網羅的に記した本だ。ものすごい量の資料と思う。
 以下、適当に気になったところをメモする。

1939年

 一月二十日、ヴィリエ・ド・リラダンが著し、渡邊一夫(一九〇一〜一九七五)が翻訳した『未來のイヴ』(上下巻・岩波文庫・一九三八年)のニ刷目が出版された。

 『未來のイヴ』が日本に入ってきたのはこのあたり。そのあと、齋藤磯雄らがリラダンを訳しはじめたり、少しブームになったという。しかし、最初の翻訳は、今なお名訳として知られる(よね)齋藤訳ではなかったのか。

未来のイヴ (創元ライブラリ)

未来のイヴ (創元ライブラリ)

 ちなみに、この年にカレル・チャペックが死に、その訃報に『ロボツト作家逝く』などと紹介されていたという。もう日本語として定着していたという。
 また、この年に海外から紹介された潜水服がロボットっぽい、というのも写真入りで紹介されているが、今も昔も潜水服はロボットっぽい。

 同年、アメリカでは「ヴォイス・オペレーション・デモンストレーター」、通称「ヴォダー」が開発、発表されていた。キーボードとペダルで操作し、母音と子音、そして驚嘆や抑揚もつけられたという。これなどは、現代のヴォーカロイドの先祖となろうか。

1940年

 飛行機の操縦と云ふ様な國防上の必要に迫られる事柄なら兎も角、一見何の役に立つか判らない様な「物言ふ器械」の而も高が博覽會に於ける公開にさへ、是れだけの科學的周到さを以て準備する米人の氣性が、軈て各種の科學的事業に於て成功を収める鍵であると信ずる。

 ベル・テレフォン研究所がヴォダーのオペレーターを300人から数回の試験で24人にまで絞り込み、徹底的に習熟させたことに対し、小幡重一(物理学者)がこう書いた。ヴォーカロイド(物歌ふ器械)の習熟にすごいことになっているかもしれない日本に対して、どこかの国の科学者がこんなことを考えていたりするのだろうか。しねえか。
 とはいえ、戦争ははじまっているんだ。そんな中で、ロボットという語はこのように使われている。チャップリンの『モダン・タイムス』、『独裁者』なんかあげたうえで、こう指摘されている。

 人間は機械ではない、機械に使われるな、人間性を取り戻せと一方で必死に叫ばれているということは、そういったことが他方に存在していることを意味する。例えばフランドル戦線から本国へ帰還したイギリス兵の報告は、記事「機械人形のやうに 死地に赴く獨兵」(「満洲日日新聞六月一日付)になった。すでに兵士は「機械人形」であった。

 このような比喩に使われる一方で、現実的な兵器としてのロボット……人間が搭乗する形でのロボットとして創案されたりもしていた。それは一人乗りの「むかで式装甲自動車」だったりする。wikipedia:クーゲルパンツァーなんかも、それが現実化した一例だろうか。
 また、人間が搭乗しない、無人機というものもすでに考えられていたことではあった。なにも今現在にはじまった発想なんかじゃないんだな、と。デ・ハビランド複葉機のタイガー・モスを無線操縦飛行機に仕立てて実験に成功していたし、日本の海軍でも同様の実験をしてあるていど成功していたりする。アメリカでは、無人機にテレビ・カメラをつけたロボット爆撃機の研究がはじまっていた。「ロボット・テレビジョン・ボマー」。これが使用されるのは1944年のことだ。ものすごく実用的になっているのは現代のことだ。

1941年

日本では「人手いらぬ『自働改札機』」(「讀賣新聞」十一月二十六日付)が現れた。

 ほう、そんな昔から、などと国鉄で改札がチョキチョキやってたのを知っている昭和の子のおれなどは思うが、これは一方で戦局から人出が足りなくなっているという事情もあったというから、なんとも。一方で、「アイスクリームのスタンド」なんかも作られていたというから、生活は生活であったのだろうか、などとも想像するが。
 さて、wikipedia:多田礼吉である。大正・昭和期の兵器畑を歩み、最終階級は陸軍中将という工学博士。これが退役して科学測器学会という団体の会長になる。そして、その立場から兵器についていろいろ述べていくのだが、中にはロボット論が含まれており、この本にもたびたび登場する。えーと、引用は旧字体勘弁ということで。

 科学測器は人間の五感的性能に相当する。即ち、科学測器が、軍隊を共通数字より団結に導くのみならず、同時に其の鋭敏と精確により、百万の軍隊をして一の文化高き巨人として、最高の戦力体を形成する所に軍用科学測器の理想は存在するのである。

百万の軍隊をして一組の耳目、五官に依て一人の人体、手足の如く活動せしめ得るのを理想とする

 この百万の軍隊をして……なんてのは、えーと、専門用語なんかはわからないけれども、最新鋭の、あるいはもう当たり前の考え方になってるんじゃないのか、という気になる。GPS無人偵察機による一元的情報により、有機的に連動して動く部隊。ただ、まだその個体は完全に無人化されちゃいない。多田の理想は自動的に対処する機構を持った兵器、すなわちロボットだったという。
 無人化兵器ともなれば、かなりのところまで来ている。とはいえ、やはりまだ人間がドンパチやってるのも確かなことだ。多田は一般の日本人がドイツ人と比べて科学性が天と地だと嘆いたりしているが(まあ、ドイツの科学力は世界一なので)、先を見すぎている人という気もする。……とか書いている現在、われわれ一般人の知らないところで、人型か人型でないかわからないが、完全な機械が白兵戦やってるのかもしれないが。
 で、ドイツと比べて天と地の日本人がなにを考えていたのか。

 僅かに十五トンの小艇、艇外舷側に抱く二個の魚雷を武器として、敵艦に肉迫するその勇ましさ、そして最後の武器としては、艇自らの艇首に備えた強力な爆薬によって、艇もろとも、人もろとも敵艦に衝突して行こうというのだ。何と日本人らしい、勇敢な兵器ではないか。

 って「三人乗り小型潜水迫撃艇」が載っているのは「少年少女譚海」の1934年4月号。1944年じゃなくて、1934年。この手の特攻人間魚雷の発想というものは古くからあり、特攻は日本人らしいとされていた。パール・ハーバーで「特殊潜航艇」が使用され、軍神が生まれたことは有名だが、なんというか、戦局悪化以前からこういった空気は醸成され、最初の最初から使われていたんだな、と。

1942年

前述の多田先生曰く。

……ロボットの機械は不死身である。富士見の戦車、飛行機或いは艦艇、水雷、魚雷といったものを遠くから電気操縦、特に無線操縦によって、人間を乗せず、また人間の勇気といったものも必要のないような、そうして貴い人命の犠牲を必要とせず、人間は後方の安全地帯にあって操縦し、戦力を一層発揚する工夫が科学の力で進められると考えるのである。

 いくら勇猛に、いくら機敏にやっても人間の動作には限度があるから、それを科学力で対抗していく。例えば、爆弾三勇士といふものがあるが、これに代わるに無線のロボットを使う。

 肉弾三勇士に否定的ともいえる言葉。「科学兵器の最高権威」とされていた多田だから言えることだろうか。とはいえなんだろうか、この戦争から70年経って、人間が戦争で戦うとはどういうことか、無人兵器とはどういうことかということについて、ケリがついていないように思える。あるいは、超大国による核戦争の可能性という局面で、こういった実戦についてしばらく人間は考えていなかったのだろうか。この本を読んでいて、今、中東で起きていることを連想すること少なくはない。

1943年

 wikipedia:ヴァネヴァー・ブッシュ曰く。

「最も強力だったものは、近接信管である」

 言わずもがなのVT信管。この必殺兵器、こいつも広い意味ではロボット兵器とする。言われてみればこの「バック・ロジャース」、自らの判断力で炸薬を爆発させる。これもロボットか。日本はロボットに負けたのか。というのは言い過ぎか。
 一方では、ドイツでwikipedia:Hs 293 (ミサイル)なんかが実用化されていた。
 また、日本ではまた一種の鎖国状態にあり、過去の人形芝居、からくり人形なんかについての本が出されたりしとったという。
 と、そんな中でwikipedia:福本和夫の名前が出てきたおどろいた。石母田正の本を読んでて「福本イズム」とか言われていた「日本のマルクス主義思想家・経済学者・科学技術史家・思想史家」である。これが1928年に3.15事件で入獄し、獄中14年、漢籍を渉猟し、知人である多賀義憲の名を借りて『技術史話雑稿』という本を出したという。内容は、『列子』の中に「世界最古の人造人間の発明」を発見したというものであった。偃師の人造人形である。そのほか、『墨子』のなかに木製の鳥型機械を飛ばした話があるとか、諸葛亮が「木牛流馬」を発明したとか例をあげ、これもすべて偃師の人造人間の応用だったと論じたらしい。この本の著者曰く、この時期にこんな本が出ること「奇書の第一条件は強運であることか」と。

1944年

 戦局は悪化し、物資はなくなり、子供の玩具なんかもなくなってきたこの時期。新聞広告に見られたのは動くロボットの設計図、だったりとか。
 ヨーロッパではオーヴァロード作戦。連合軍はノルマンディーから目を逸らせるために、いろいろの地方に「ルパート人形」という空挺部隊の格好をさせた人形を各地に降下させ、ドイツ軍を撹乱させようとしたらしい。ちなみに爆発する。
 一方でドイツは報復兵器V1ロケットと実戦投入。日本では流星爆弾と呼んでいたとか。そして佐藤春夫が「流星爆弾歌」というV1讃美歌を発表した。

人我れを呼んで無人機といひ
また流星爆弾と呼び
わが咆吼を聞く者は地獄の犬と做す
敵をして能く慴伏せしめなば
わが名は人の呼ぶに任す
知らずやわが鳴るは天軍の喇叭
我は科学の驕兒にて
ヒットラーが秘密
(以下この調子……略)

 著者曰く。

ロボットと呼ばれることになる兵器が詩に詠われることはこの時期、世界的に見ても空前絶後のことではなかろうか。

 でも、なんとなくソヴェート・ロシアあたりは作りそう。あと、「少年倶楽部」に小松崎茂が「僕はロケット弾だ」というのを描いたらしいが、最近の日本SFにそんなタイトルなかったっけ。
 一方で、アメリカはというとV1のことを「ロボット・ボム」と呼んでいたのだけれど、「最近ロボットって言葉よく使うけど、どの発音が正しいのか」とか新聞で特集していたりして(Roe-but or Rah-but)、余裕あるのかなという。
 余裕のない日本はといえば、ご存知「『ふ』号兵器」の開発研究実戦投入なんかをしていた。とはいえ、この風船も自動高度保持装置や時限時計を有し、ロボット気球の終着点と呼べるものともいう。まあ、たしかに。そして、これが日本の「報復兵器」であった。

1945年

 この頃になると、兵器としてのロボットというより、政治的な意味でのロボットという話題が増える。いや、その当時言われたことではないが、ようするにおれが冒頭で書いた「天皇はロボットのようなものではないか」とうところに行き着く。では操縦者はだれであったのか。そもそもロボットであったのか。天皇の戦争責任という話に行き着くのか、日本の、東アジアのデスポットとはなんであるかという話になるのか……。
 そしてまた現代、戦場の兵士ではなく、われわれ労働者がロボットである、というようなことも言えなくもない。いや、そんな言い方はずっと古くからあるに違いないが、さてじゃあそれは解決済みかと言われて「そうだ」と言い切れるものだろうか。そして一方、人間の便利のためにあるロボットに使われる人間という古典的な図式もまた有効のように思える。人間とロボット、歴史は紡がれていく。