水木サンの訃報について(いまさらながら)

本当に調布に田園調布がないのか確かめに行く93.42kmの旅 - 関内関外日記

……ただ、私は女にこんな話しを聞いたことがある。彼女の友人が、調布の街で水木御大を見かけたことがあった。ファンだったので、声をかけた。そしてサインを貰おうと思った。が、あいにくふたりともペンも紙も持っていなかった。と、水木御大が「ちょっと待っていてください」とどこかに行ってしまった。立ち去るわけにもいかず待っていると、自宅からわざわざペンと色紙を持ってきてくれて、その場でサインしてくれたという。

水木しげるが亡くなった。かつて書いた話だが……と思い古い日記を検索したが、クロスバイクなんぞで関東をうろうろしていたころの話題(から逸れた話)くらいしか出てこなかったので、あらためて書く。

おれにとっての……と思ったらちょっとだけ出てきた。

墓場鬼太郎を見たこと - 関内関外日記

この回は、水木しげる先生登場で、『昭和史』でもそうだったけれど、作中の水木先生は両腕あるのであった。『昭和史』でも、などと言ったが、だいたい俺は、鬼太郎その他について、漫画で読んだことなどなく、俺にとって水木漫画というと、『昭和史』だけなのだけれど、『昭和史』だけ、というにはあまりにも大きな存在なのである。

 

 

そうだ、おれにとっての水木しげるといえば『昭和史』なのだ。なぜか? それは『昭和史』を何回目かに読んだ、その情況にあった。おれの生まれ育った土地も家もなくなり、一家離散し、初めての一人暮らし。金も暖房もろくな寝具もなく、ただただ寒い夜、おれは毎夜『昭和史』を読み返したのだ。いくらかは持っていた本や漫画を持ってくることはできた。処分したものも多い。『昭和史』は捨てられなかった。

しかし、なぜ『昭和史』だったのだろうか。今ではもう覚えていない。まったく整理されていない引っ越しのダンボール、開いたその一番上にでもまとまってあったからかもしれない。ハードカバーの『昭和史』。おれはそこに何を見たのだろうか。今の己よりも貧しく苦しい時期の日本人を見て安心しようとしたのだろうか。生と死の境すら曖昧な戦場の苛烈さを見てまだ自分はマシだと思おうとしたのだろうか。高度経済成長の昭和を羨み、平成の落ち目を嘆いていたのだろうか。正直なところ、よくわからない。なにか特別なものがそこにはあったのか、ただの偶然だったのか。

ただの偶然だとしても、結果的におれのなかで『昭和史』はとても大きな存在になった。同時に、水木しげるという人間(あるいは人三化七?)の生き方というか、水木サンの世界観というものに大きな影響を受けたはずである。

劇画ヒットラー (ちくま文庫)

劇画ヒットラー (ちくま文庫)

 

 とはいえ、おれはあまり妖怪に興味がなかった。小さな頃は『ゲゲゲの鬼太郎』のアニメを見たことくらいはあるが、とくに好きというわけでもなかった。だから、そのあたりおれはあまり語ることがない。南方熊楠ものや柳田國男ものも悪くはなかったが、やはり『昭和史』であり、『劇画ヒットラー』に惹かれるところがある。どこか人間世界を突き放したようなところがある。突き放しながらも、地に足がついている。たしかにそこに一個の人間がいて、魂があって、うったえかけてくるものがある。しかしながら、どうにもおかしくなってしまう笑いがある。のんきさがある。おれなんぞには計り知れねえや、と思う。

そしておれは久々に『昭和史』を開く。最後のページのぐにゃりと曲げられた鉄砲を見ようかと思う……って、『昭和史』どこだ? 二度目の引っ越しで、今度は一番上にあったものが一番奥底に行ってしまったのか? 見当たらん。『劇画ヒットラー』もないし……。なんか似たような絵柄の画像でも貼ってお茶を濁そう。

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(ドリヤス工場『私家版スクールアイドル・オペレーション』より)

そうだ、生と死の垣根、人の世と怪しの世の垣根なんて「にっこにっこにー」で乗り越えられちまうもんなんだ。なんか違うか。まあいいや。なんか変なことになった。ご海容を。