Twitterのタイムラインをつらつら眺めていたら、「コミックビーム」誌で『高丘親王航海記』の連載が始まるという記事が流れてきた。おれはすぐに楽天ブックスにアクセス、購入ボタンを押した(電子書籍ではないの? いや、だってどの電子書籍サービスがいいのかおれにはわからないし、追求する気力もないのだし)。
おれが人と比べてどのくらい本を読んできたか、小説を読んできたかというと、まったく読まない人に比べたら読んできたほうだろうが、「趣味は読書」という人間に比べたらあまり読んでいない、というていどだろう。
そして、「あの作品は好きで、何回も繰り返し読んだ」という「小説」に限れば、おれは二つの作品を挙げることしかできない。一つは高橋源一郎の『さようなら、ギャングたち』、そしてもう一つが澁澤龍彦の『高丘親王航海記』ということになる。
といっても、最後に『高丘親王航海記』を読んだのはいつになるかというと、かなり前、だ。たしか、文庫版(ハードカバーも文庫も持っている)の解説だかで、年齢とともに味わいが変わるとか書かれていたと思うので、人生を折り返した今読んだら、また新しい味があるかもしれない。
が、この近藤ようこの漫画によってその味を知るのも悪くないかもしれない。そう思えた。
もう、藤原薬子のセリフ、このコマだけで、なあ? いいよな。うん、いい。それで、全体的に、なにかこう、ストンと抜けたところのある絵柄で、ひょうひょうとして、いい余白がある。それは、衒学趣味の仮面のうちにある、澁澤龍彦のカラッとした、スカッとした部分にマッチしている、おれはそう思った。これなら、「それはアナクロニスム」のシーンだって、サラッとおもしろくやってくれそうじゃないか。ああ、おれは、この作品のために、来月も「コミックビーム」を買うかもしれない、とすら思っている。まあ、単行本まで待つ可能性のほうが高いが……。
と、『高丘親王航海記』と関係ない話します。
で、今号の「コミックビーム」、久々の漫画である。おれはもう桜玉吉作品と石黒正数作品と『ヒストリエ』くらいしか漫画を継続購入していないので、ほとんど漫画読まない種族になってしまっている。「ビーム」の著者の名前には馴染み深いものもある(とうか、桜玉吉が載ってるわけだけど)が、絵柄もなにも変わってしまっていて、本当に漫画読んでなかったんだな、おれ、というところである。で、最後まできて、こんな文章に出くわす。
O村が会社の配置転換で「ビーム」を去るというのである。なんという偶然だろうか。「アスキーのマンガ部門ができたのはそもそも……」の時代には読んでいたが、その後編集長になり、今は総編集長? そして、そうでなくなる。玉吉の現行を伊豆まで取りに行かなくなるのだろうか。よくわからない。時代の節目か。KADOKAWAの節目か。よくわからない。しかし、これもまた不思議な縁ではある。なにか、そう思った。以上。
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……なんだこの表紙? 知らんぞ、これは。
著者紹介文で折口信夫の『死者の書』を漫画にしているのを知った。
なんか興奮してきたな。