桜玉吉の『日々我人間』の二巻である。予約して買って、読んだ。一気に読むのもったいないので、三日に分けて読んだ。掲載誌の「週刊文春」では2016年から2019年までかかっているのだから、そのくらいの時間をかけてもいいだろう。というか、それだけの読み応えもあったのだし。
というわけで、桜玉吉の新刊である。伝わる人にはそれで伝わってしまうのだと思う。とはいえ、知らない人にいきなりこの『日々我人間』を勧めろと言われても困ってしまう。おれは「ファミコン通信」の『しあわせのかたち』から桜玉吉を読み始め、読み続け、なんだもう、三十年以上も経つのか。そして、桜玉吉は自らのことを描き、病み、それでも描き、休み、そして今に至る。
いきなり、その「今」だけを手渡されても、知らない人は困ってしまうに違いない。伊豆の山奥の一軒家で一人暮らし。ムカデと戦う、温泉に入る、車を運転してトラブルに遭う、またファンに特定される、追憶を語る……まあ、そんなところか。おれなどは、「伊豆生活にも慣れて、ちょっとただの怒りっぽいおっさんになりかけていたのも収まり、なんか人間丸くなって、それなりに安定しているようでよかったんじゃないのか」などと思ってしまうわけだが、さて。巻末の奥村勝彦との対談でもこんなやりとりがある。
奥村 連載300回だって?
玉吉 うん
奥村 何年だ?
玉吉 丸6年くらい。
奥村 すげえじゃねえか。1回も落とさなかったのか?
玉吉 んー、1回だけ落としたかな。どうしても起きられなくってさあ。
奥村 おう。上出来だよ。
漫画についてのやりとりはこのくらいで、あとはムカデと奥村の車についての話ばかりしているのだが、まあそれもよい。よいのだがなあ。
で、ふと、Amazonのレビューを見てみた。おれが今見ている段階で、星5つ87%、星4つ13%で、評価4.9である。しかし、問題は星ではない。レビューに漂う、年季の入った桜玉吉ファンの書き込みよ。「生存確認のようなもの」とか、「健康そうでなにより」とか、ああ、everybody feels the sameとはいわんが、やっぱりそうよな、と思うのである。みなも歳をとったのだろうし、玉吉ももうすぐ還暦なのである。いやはや。でもなんだ、熱心なファンが多いし、クラウドファンディングとかなんかに向いてると思うけど、本人の性格的に向いてねえのだろうな。たぶん。
して、迷走、逆走、桜玉吉どこへ行く。いや、どこにも行かないで、伊豆で暮らし続けるのか。ともかく鬱には気をつけて(と、躁鬱病のおれが言う)、たまに生存報告してもらいたい。それになんというか、なんか玉吉がいい方に向かっている感じがして、漫画ももちろん面白いのである。画家などの作風を語るときに「青の時代」とか表現するが、玉吉は確実に一時期の鬱の時代は抜けているといっていい。この全身漫画家が、日本漫画史にどう位置づけられることになるかはしらんし、それはどうでもいい。本当にもう、なんというか、描きつづけてほしいと祈るのみである。
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