幽玄でも無限でもなく - 桜玉吉『伊豆漫玉ブルース』

 

伊豆漫玉ブルース (ビームコミックス)

伊豆漫玉ブルース (ビームコミックス)

 

 おれと桜玉吉桜玉吉とおれ。おれは「ファミ通」の「コン」と「信」が行方不明になる前から「ファミ通」を愛読する、ファミコン少年だった。ゲーム雑誌は何冊かあったが、なんといっても「ファミ通」が大好きだった。その魅力はといえばゲーム帝国もあったのだけれど、やはり二本の連載漫画が大きかった。鈴木みその「あんたっちゃぶる」、そして桜玉吉の「しあわせのかたち」である。

鈴木みそ桜玉吉桜玉吉鈴木みそ。どうして差がついたのか……。などとは言うまい。しかし、おれにとっては同じ出所の漫画家二人、鈴木みそはなにかITというのかインターネットというのか、そういった時流にいまだに乗り続けているように見える。電子書籍関連などでは、先を行っている感じすらする。

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81ページより

一方で、桜玉吉はどうだろう。病気もあって、どうにも引っ込んでしまっているように思える。なぜか「週刊文春」で連載を持ったりしているが、弾は少ない。おれのように、漫画雑誌を定期購読するという習慣がなくなっている人間にとっては、たまに出てくる単行本だけが頼みだ。

こういうと変な話になるかもしれないが、桜玉吉の方がおそらくはコアなファンがついているように思える。なにがいいたいかというと、クラウドファンディングなりnoteなりで、それら読者から直接にお金を集めることができるのではないか、などと。おれも、「玉吉もなぁ……」とか言いながら、桜玉吉という漫画世界のなかにあって、わりと、かなり、けっこう、そうとうに特殊な位置にいる漫画家を応援したいという思いはある。

が、そんなことは余計なお世話のように思える。上のコマも風邪で弱っているときの想念だ。むしろ、玉吉は伊豆での生活で元気を取り戻しているように見える。精神的な意味での元気だ。ムカデをはじめとした虫や動物との攻防戦、枯れ葉や雨漏り対策、そんなところに怒ったり、怖がったり、愚痴ったりしつつ、なにやら満喫しているようなのだ。漫喫にこもっているころよりも、元気なんじゃないかと。

もちろん、漫画家が自分のすべてを作品に表すわけではない。むしろ、玉吉はそれに近いことをしようとしてパンクした過去がある。なので、その生活の実態も、精神の実態もわからない。わからないが、この『ブルース』には、なにかしらの健康さが感じられた。現役で精神病院通いの病んでるおれが言うのだから、間違いない(かどうかしらんが)。

しかしまあ、些事ではあるが、玉吉のタイトルの付け方はうまい。過去には楽曲のタイトルなどを使ったりもしていたが、この『ブルース』はシンプルで実にいい。とくに好きなのが、最後に収録されている「財布がぼろい」。これがいい。どこがいいのか? という人もいるだろうが、おれにとってはこのタイトルが実に好もしい。内容も面白い。

内容というと、今の絵柄はどうなのか、というところもあるだろう。わりと乱暴というか、悪い言い方をすれば雑、なのかもしれない。が、これをもって味とする見方もあるだろう。かわいいデフォルメキャラも描いたが、ここに至ったと。おれにはどうにもわからない。わからないが、やっぱり桜玉吉はかわいい女の子を描けるよな、と、最後の最後に収録されている四コマの、目の前が海のひもの屋の女店員を見て思ったりしたのだった。

桜玉吉はこれからどこに行くのか。今のところ、伊豆の田舎暮らし、山の中暮らしのリアルにある。幽玄ではなく、ひたすらにリアルな、自らを、生活を観察するところにある。その観察から面白みを出してくる。だが、「ボ泣き石」でちらっと描いてみたような、そんなところにも可能性はあるように思える。人情風俗ものでなくてもよいので、なにかしらストーリーものを読んでみたいという気持ちもある。ともあれ、なにより、ともかく、本を出してほしい。おれはそれを買う、そして読む、満足する。それだけだ。

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