『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』をみる

 ようできてる映画やな、と思った。そんなところだ。そんなところというとえらい低評価のように受け取られるかもしれないが、「ようできてる」のだ。「ようできてる」ものが悪いわけがない。でも、「ようできてる」の範疇を突き抜けたり、打ち壊したり、明後日の方向を飛んでるような代物ではない、というのも正直なところだ。おれは「ようできてる」ものが嫌いなわけじゃあないし、悲しくなるほど凡庸で、あまりようもできてないものを愛する趣味もない。とはいえ、どっか突き抜けてるもののほうが好きだ。そういう尺度でいうと、やはり「ようできてる」の範疇に収まって「しまって」いる、という評価は……やっぱりあんまりよくないのかな。
 といったって、木とかアライグマがいいキャラなのは認めざるを得ないし、カセットテープの音楽が(同時代のアメリカ人もしくは洋楽愛好家でないのでようわからんというのが実情だがなのだろうが)いい味出してるのも確かだろう。きちんと抑えにきてるし、抑えられている。面白かったかといえば面白かった。だが、心は撃ち抜かれちゃいないんだ。そこんところもはっきり言っておかなきゃならん。そう思う。おれにはこの映画に、馬鹿みたいに興奮したり、偏愛したりという印象を抱けなかった。まあ、もともとマーベルに興味もないし、知りもしないし、それだけのことである。続編も見るだろうが、映画館には行かないだろう。そんなところである。おしまい。