詩集かと思ったら絵本だったけど『そとは ただ 春』

そとは ただ 春

そとは ただ 春

 ブコウスキーが敬愛したジョン・ファンテの息子であるダン・ファンテが敬愛した詩人e e カミングス。

 詩については、どうもその形式からして独特のようであって、それを日本語訳にしてさらにどうなることやら、などと思った。思ったが、こういっちゃなんだけれども、無料でそれを確かめられるのが図書館のいいところであって、おれは書庫から一冊の詩集を出してもらうことにした。
 ……のだが、出てきたのは絵本であった。書庫から出してもらって「思ったより分厚くてデケエ」という動揺をしたことは幾度かあったが、絵本、というのははじめてだった。「こちらも借りていかれますか?」。「はい」。
 して、絵本である。子供たちに春の到来を告げる絵本である。が、しかし、この不穏さはなんだろうか。「足のわるい風船売り」、「鼻にいぼのある年寄り女」、「すこしだけ、かなしい目をした/もう一人の娘」……。いや、子供向けの絵本とは明るく楽しいばかりが意義ではない。児童文学に明るいわけじゃあないけれど、子供心に世界のなかの暗いなにかの引っかき傷を作るのも絵本じゃないのか。下手すりゃトラウマ級に引っかかりを作ってしまうのも絵本じゃないのか。ようわからんが、そういうことにしておこう。
 というわけで、期せずして絵本を読んでしまったが、まあなかなかに新鮮という気にもなり、また、この歳にしてなにか妙な不穏さを刻まれてしまったのであった。お子様がおられるなら、ぜひご一読を(手に入るかしらないけれど)。