映画『<harmony/ >ハーモニー』はよかった

<?Emotion-in-Text Markup Language:version=1.0:encoding=EMO-590378?>
<!DOCTYPE etml PUBLIC :-//WENC//DTD ETML1.0 Transitional//EN>
<etml:lang=ja>
<body>

<question>
<q:わたしはアパートの契約更新を控え、ただでさえ金がないのに映画など観に行く必要があったのだろうか。だいたいこの伊藤計劃プロジェクトの第一作だって、よくもわるくもノイタミナ程度だったじゃないか。おとなしく野毛の図書館に行って、帰りにリキュールワンダーで特売のオールド・パーでも買ってかえるべきだったのではないか?>
 <a:『屍者の帝国』だっていうほど悪くない。ラジオでへごちんも複数回観たと言っていた。それに伊藤計劃作品として『ハーモニー』は『屍者の帝国』より、『虐殺器官』よりいい出来だった。それに声優陣を見てみろ。わたしは沢城みゆきが好きだし、上官が榊原良子ときたものだ。おまけに洲崎綾の名前まである。そして、あの役に洲崎綾はぴったりじゃないか。上田麗奈無双もあるかもしれない。それに明日をも知れぬ身なればこそ、気になった映画くらい観ておきたいというものだ>
</question>

 そしてわたしは公開2週目に『ハーモニー』を観た。下手をすれば寝てしまうかもしれないという危惧を抱えつつ、ひとりで映画館へ行った。上映されるのは小スクリーンで、客の入りはというと空席を除けばほぼ満席だった。おれは『ガールズ&パンツァー』の劇場版というのもあるのか、と思った。ただ、おれはそこまで『ガルパン』愛というものがない。アンツィオ戦すら未見なのだから。

<tension>
<up>
映画のはじまりとともにetmlの表示がはじまる。
</up>
</tension>

<quote>

 「ユートピアはかつて人が思ったよりもはるかに実現可能であるように思われる。そしてわれわれは、全く別な意味でわれわれを不安にさせる一つの問題の前に実際に立っている。――「ユートピアの確実なる実現をいかにして避くべきか?」……ユートピアは実現可能である。生活はユートピアにむかって進んでいる。そしておそらく、知識人や教養ある階級がユートピアを避け、少しも完全ではないがより自由な、非ユートピア的社会へ還るためのさまざまな手段を夢想する、そういう新しい世紀が始まるであろう。」
ニコラ・ベンジャアエフ

</quote>

 はたして『ハーモニー』に描かれる未来の日本のやさしい地獄は、いかなるユートピアであるか。もはやそこには「知識人や教養ある階級」の反発すら見当たらないようだ。なにせ理由がある。
<item>
<i:>「大災禍」と呼ばれる世界的な混乱があったからだ。 いやぁ〜乱世乱世! 人は一度、野蛮になって殺しあってしまった。その反省がある。それに対する危惧がある。
<i:>身体をシステムに委ねている。健康、長寿。ここをとられると人間は弱いのではないか。『幸福論』のアランは人の不幸について、身体に原因を求めるのを忘れちゃいけないと諭したが、はたしてその逆はどうであろうか。仕込まれたハーモニーのプログラムなくとも、□□を握られてちゃ、もうどうしようもないというものだ。
</item>

<twit>
 ところでもう面倒くさいし面白くもないマークアップやめようかな。
</twit>

 ともかく、この映画は面白かったといっていい。映画として起承転結のようななにかがきちんとしていた。きちんとしているのはよいことだ。予想通りキャスティングもよかった。上田麗奈が予想以上によかった(ろくに今までの実績も知らないくせに言うのだが)おれの嗜好からして百合なのもよかった。よいことばかりじゃないか。
 しかし、一番よかったのはストーリーというか、原作だろう。おれは伊藤計劃が最高級の書き手とは思っていないのだけれど、最高級になり得た書き手という印象がある。『ハーモニー』より先が見たかったと思う。とはいえ『ハーモニー』自体もすばらしい。おれは印刷された紙の本を開きつつそう思う。

ハーモニー〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

ハーモニー〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

<quote>

<commonsense>
<i:自殺は恥知らずな行為だ、と皆が言う
<i:社会的リソースたる身体に対する攻撃だ、と皆は言う>
<i:身体の公共性に対する恥ずべき無自覚だ、と世界中の人が言う>
<ex:わたしはといえば、自身の命をどうしようがそれは当人の勝手だと思う>
</commonsense>

</quote>
 むろん、本作主人公は伊藤計劃の代弁人ではない。とはいえ、大病という形で自分の身体、生命に向き合わなくてはならなかった伊藤計劃の、一歩ないし二歩引いたところから、すこし突き放したようなそれらへの感覚、これが作品世界にある。その世界への感覚、惜しむべきかな。はたして彼の幸福、彼の考える幸福な社会はどのようなものであったのだろうか?

 佐藤弥 医学研究科特定准教授らの研究グループは、主観的幸福の神経基盤について、脳の構造を計測する磁気共鳴画像(MRI)と幸福度などを調べる質問紙で調べました。その結果、右半球の楔前部(頭頂葉の内側面にある領域)の灰白質体積と主観的幸福の間に、正の関係があることが示されました。つまり、より強く幸福を感じる人は、この領域が大きいことを意味します。また、同じ右楔前部の領域が、快感情強度・不快感情強度・人生の目的の統合指標と関係することが示されました。つまり、ポジティブな感情を強く感じ、ネガティブな感情を弱く感じ、人生の意味を見出しやすい人は、この領域が大きいことを意味します。こうした結果をまとめると、幸福は、楔前部で感情的・認知的な情報が統合され生み出される主観的経験であることが示唆されます。主観的幸福の構造的神経基盤を、世界で初めて明らかにする知見です。

幸福の神経基盤を解明 — 京都大学

 伊藤計劃が生きていれば、きっとこんな話題もぶち込んできただろう。希死念慮にとりつかれている悲観主義者で脳の病気のおれは、きっと「主観的幸福」の「神経基盤」がティピカルに不幸の方に振れているのだろう。この知見とやらがなんらかの形でわれわれ人類の幸福に寄与するのはいつのことだろうか? 車の完全自動運転化より早いのか、遅いのか。おれが死ぬより早いのか、遅いのか?

<cityscape>
桜木町の駅前では盲導犬、介護犬への募金の他、右派の市民団体と左派の市民団体が近距離でやりあっていた。おれに声をかけてきた男はマンションのチラシを配っていた。おれは野毛のちかみちからリキュールワンダーに行き、詩人田村隆一の愛したオールド・パー(12年/750ml)を買った。三千円以上お買い上げなのでスクラッチカードが手渡された。おれはすぐにそれを削ると「100円」と出てきた。おれはいったんエスカレータに乗って駅の前に出た。ふと思い立って、バッグからボールペンを出してスクラッチカードの裏に名前と住所を書いて、また地下に戻った。リキュールワンダーとレジを同じくする八百屋・浜っ子の特売品のトマトひとかご210円をもって同じレジに並び、スクラッチカードを出した。同じレジのおばちゃんに「さっそく当たったのね!」と言われた。おれは少しだけこっ恥ずかしいような印象を与える笑顔を作って「ええ、まあ」と応えた。おれは今夜、オールド・パーを飲みながら、冷やしたトマトを食べるだろう。
</cityscape>

</body>

>゜))彡>゜))彡>゜))彡>゜))彡

ハーモニー (ハヤカワ文庫JA)

ハーモニー (ハヤカワ文庫JA)