もうこの身体で生きるのがいよいよ厭になってきた

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「さいきん、朝、起きられないのがますますひどくなって」

「じゃあ、抗不安剤半分にカットしてみたらどうですか」

というわけで、カットしてみた。ピルカッター使って……ではなく、薬飲むこと自体をカットしてみた。というか、せっかくだからこのさい、睡眠薬以外全部飲まないでみたらどうなるか人体実験してみようと思った。おれって、どんな症状で病院行ってんだ、薬飲んでんだ、その再確認だ。

数日続けてみた。

少し、起きられるようになったような気はした。

けど、最悪だった。

頭のなかに立方体みたいなものが埋め込まれたみたいになって、心臓は常に不安のドキドキ信号を送ってくる。ささいな物音が気になる。怒りっぽくなる。いつも以上に仕事が手につかない。気が散りっぱなしだ。少しくらくらする。体が重い。

おれは、「これがおれのナチュラルなのか」と思い、暗澹たる気分になった。

……無論、「ナチュラル」かどうかは判断できないのはわかっている。急な断薬による症状、あるいはある種のノセボのようななにかになっている可能性もある。とはいえ、こんなんなのか、という思いは強い。

というわけで、薬を飲んだところで薄らぼんやりした意識といいようのない不安の靄の中を生きているおれが、実のところもっとひどいものだった、ということだ。おれはもうおれの身体が厭になった。脳味噌から心臓からなにから、ぜんぶ気に入らない。機械の身体がほしいんだ。あるいは身体がなくなってしまってもいい。

……無論、おれの病状などたいしたものではないことは承知の上だ。精神の病でももっともっと重症な人もいるだろうし、癌やなにか重い病気を抱えている人もいるだろう。生まれつき重い身体障害の人もいるだろう。

とはいえ、おれはおれ、その人はその人だ。おれが操縦する、あるいは操縦されているこの身体というものと、おれは折り合っていない。それはこの世に一個しか存在しない関係性であって、これはもうおれはおれが厭だ、嫌いだという結論に、やはり健康な人であろうと不健康な人であろうと、他人に口を挟めるもんじゃあない。そう思うのは傲慢だろうか?

ああ、意識だけの存在になりたい。この身体というものに縛られているのは、じつに辛い。しかし、いまのところ意識というものを維持するには、この身体とかいう機械仕掛けが必要だ。脳という部品が必要だ。そして、おれはおれの意識、思考、興味にまだ拘泥したいところがある。だからおれはまた薬を、抗精神病薬を、抗不安剤を飲んで、嫌々ながら起きられぬ朝を起きて、靴を履いて外に出なくてはならない。労働の真似事をしなくてはならない。この苦痛はいつか、どこか、安楽として報われるのだろうか?