マーヴィン・ミンスキー『心の社会』を読んでない

 

心の社会

心の社会

 

 心は果たして機械であろうか? この問いに対しては、私は一点の曇りもなくイエスと答えてきた。むしろ、私が問題としてきたのは、どういう種類の機械なのか、とういことだけであった。

「あとがきと謝辞」

 というわけで、マーヴィン・ミンスキーの『心の社会』。心の働きというのはエージェントという……、いや、正直、むつかしくてわかんなかったです。訳された日本語というものがわりと平易に書かれているということは認識できても、まったく頭に入ってこない。これはひとえにおれの知力、学力不足。

 この本には、とくに専門的でむずかしいことは何も書かれていない。この本で言いたいことと同じように、この本自体も、小さい考えをたくさん集めた社会の形になっている。この本の中のいろいろな考えは、それぞれをとってみると単なる常識程度のものにすぎない。それでも、こうした考えをいくつか集めると、心の不思議な謎を解き明かすことができるのだ。

「第1章 心の社会」

 いや、そうはおっしゃいますけれど……、むずかしいじゃないの。少なくともおれには。高卒のおれには。ついていけないというか、目に見える壁というか、いや、おれにこの水準は無理、というのは理解できましたとも。

とはいえ、こっから勝手にSF的妄想に浸らせてもらえば、これは1頁から574頁までの順序だった紙で構成されているのが無理あって、本当はもっと三次元的なマンダラのネットワークでもって構成されていて、おれはそのなかを自由に飛び回って、ある部分にアクセスすれば、その心のエージェント、エージェンシーのはたらきを追体験できるような、そのようなものであったらよかったと思うのだ。そうすれば、少しは人間の、自分の心のはたらきというものを理解できるかもしれない、そんなふうに思ったのだ。

まあ、ともかくおれの学力、知力ではこのレベルは無理。それがよくわかっただけでも収穫としようか。