「ここで可哀そうや、思たらアカンで。動物やから、牛もそれがわかってすがってくる。そうなったら手元が狂って打ち損じる。その方が余計可哀そうや。だから一発で極めたらなアカン」
四十五歳になる為野は、そう教えられてハンマーを振るってきた。
しかし今はもう、可哀そうやとは微塵も意識しなくなった。人間の慣れというのは便利なものだと為野は思う。
このノッキングを担当する者の一瞬のためらいは、失敗したときに牛が猛烈に暴れる結果を招く。だからノッキングは、とばの中でも経験豊富な職人に任される。この一撃がとばの始まりであり、そしてもっとも重要な局面だからだ。
「路地の子」である上原善広による「自伝的ノンフィクション」である(トルーマン・カポーティ流に言えば「ノンフィクション・ノベル」だろうか)。とはいえ、本書に描かれているのは上原の父である龍造の人生である。「路地」に生まれ、「コッテ牛」の異名をとるくらいの暴れん坊。「金さえあれば差別なんてされへん」という現実主義者。……その現実が、共産党と右翼団体と同時に手を結び同和利権に食いついていくようなすさまじいものではあるのだが。そして、家庭を作りながら、それを壊し、幾多のトラブルや逆境を生き抜いていく男の姿がある。
その勢いたるや、本に乗り移って暴れまわる。関係者も一筋縄ではいかない。団体や組織の話になるとやや説明的になってしまうきらいはあるが、それでも一気に読ませる力がある。ヤクザも鉄砲も出てくる、牛肉アンダーワールドだ。上原善広の本はおおよそ読んでいるかと思うが、なにかこう、えらいところに踏み込んでいった感がある。そして、ある意味もっと印象的な「おわりに」を読み終えて、あらためて表紙の写真を見る。牛のでかさ、それに食らいつく龍造の姿。ぜひ、手にとってもらいたい一冊である。
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おれは上原善広の本で「あぶらかす」の存在を知り、(人の金で)大阪まで行って「かすうどん」を食ったのだった。
上原善広の本に出会ったのはわりと最近のような気がしていたが、結構前から読んでいたのだな。
むむ、「あぶらかす」を食べたくなってきたな。
あとはなんだろうか、相当むかしに読んだこの本が頭をよぎった。たぶんこれも読んで損はないはずだ。