『へうげもの』が終わってしもうた

 

おれはかつてそれなりに漫画を読んでいたが、実家喪失と同時に週刊、月刊誌を読む習慣もなくなり、それまで読んでいた漫画を単行本で追うことも少なくなっていった(最初は普通に買う金がなかった)。

そんな中でも、「これは」という漫画に出会うことがあって、『へうげもの』はそんな作品の一つだった。「単行本が出たら買う」枠に入った。

山田芳裕というと、おれは『ジャイアント』という野球漫画を思い出す。巨漢の主人公が「ぼかぁ」という一人称で喋っていたように思う。ともかく、大胆で迫力ある描写が好きだった。

度胸星』は未読だ。評判はすこぶるいいようだが、未完だという話だからだ。そんな蛇の生殺しのようなものは……読みたいけど、読みたくない。

話を『へうげもの』に戻そう。笑いある「乙」の力で戦国時代を……とかいうあらすじはどうでもいいだろう。みんな知っているだろう。知らないなら買って読め。

 

おれは、その「乙」な考え方が大好きだ。おれがもとから持っていた、ぼんやりした考えに一致するような思いがしたものだ。

d.hatena.ne.jpおれが考える、人間同士の魂の落としどころは、『へうげもの』でいえば徳川家康の言うような清きところにはなくて、古織の最期(?)のようなところにあるということだ。「甲」ばかりじゃ魂がくたびれてしまう。今の日本も死んだ人形のような人間ばかりになっていないか不安になることもある。

とはいえ、おれは日本人のだらしなさ、変なもの好き、そんなところを信用しているところもある。主語が大きいのでよくわからないが、日本人の自画像として描かれる勤勉さとか礼儀正しさと裏返しのものも持っている。結局、江戸時代だって珍奇植物だの浮世絵だの工芸だのなんだので、えらくマニアックな趣味に走っていったじゃないか。もう、国の経済が、福祉制度が破綻しようとなんだろうと、なんか妙な国になればいいじゃないか。

d.hatena.ne.jpでも、現実は現実だ。ひょうげたことをするにも、ひょうげたことをさせまいとするものの支配を受けていては駄目だ。では、ひょうげたことをさせまいとするものに、「甲」で立ち向かうべきか。力でひょうげを守るのか? それじゃあ面白くない、笑わして相手を脱力させてしまえ。それがいい。ただ、そんな相手を笑わせるには、命をかけなきゃいけない。命をかけるほどひょうげてみせる。それは力の道より難しいだろうかどうだろうか。おい、そこのあんた、あんたはどう思う?

 ……あと、単行本の帯に実写化とか書いてあったが、『真田丸』の三谷幸喜が脚本を書いて、NHKで一年やるくらいじゃなきゃいかんと思うが、それはどう思う?