家族旅行は一家心中

決まって夏休みに家族旅行に行くのが我が家の習わしであった。物心ついたときから……いつまでだろう、ともかく、夏に出かけた。

必ず、自家用車の旅であった。電車で旅行、ということはなかった。それは、おれやおれの弟の年齢を考慮してのことかもしれなかったし、自動車の便利さを選択したものかもしれなかった。

旅行は年々遠くへ向かっていったように思える。一番遠くはどこだったか。神奈川県鎌倉市から、能登、もしくは南紀白浜。感覚でいうと、南紀白浜が遠いように思える。

ハンドルを握るのは両親両方だった。交代でハンドルを握った。世間的には女性は運転下手という物言いが……未だあるのかどうかわからないが……、母は運転が好きで、上手であった。父よりも好きだったかもしれない。おれも運転は好きだったが、自家用車を買えぬ人生を歩むことになったので、もはや縁遠いものとなってしまった。

旅行は、目的地が遠ければ遠いほど、出発が早くなった。夏なのにまだ仄暗い明け方、四人家族は自動車に乗り込んだ。それを、祖母が見送る。そして、おれは思うのだ。「このまま自分たちは死にに行って、この家に帰ることはないのではないか」。

そんな思いを抱いたのは、わりと早い歳からだった。楽しいはずの家族旅行、それがどうしても死の想像と結びついていた。小学校低学年くらいからそう思っていた。一家心中、そうでなくとも事故死。どうしておれがそう思ったかわからない。明け方の仄暗さがそうさせたのかもしれない。

結局、我が家の家族旅行は一家心中も、事故死も起こさなかった。ただ、もう旅行に行ける余裕もなくなり、一家離散しただけだった。あるいはおれは、そのような結末を死として予感していたのかもしれない。能登では豪華なホテルに泊まった。白浜では水族館に行った。もう、あまり覚えてはいない。おれの不安は未だ消え去ることがない。