巨人畠が危険球で退場 広島会沢の頭部に死球 - プロ野球 : 日刊スポーツ
1048日ぶりに先発での勝利を狙った巨人畠世周投手(26)が、危険球で退場となった。1点勝ち越した直後の5回1死、広島会沢に投じた149キロの直球が頭部への死球となった。
このシーンで読売の実況者である上重聡は、ひたすらに「ジャイアンツにアクシデント!」を連呼していた。あまりに下劣ではないか。たしかに頭部への死球といっても、死球慣れしている(?)會澤がうまく避けて、頭頂部をかすめるような形ではあった。とはいえ、頭部への死球である。なにかあってもおかしくはない。なにかあってもおかしくはないような投球であるがゆえに危険球退場なのだ。それを、読売の犬である上重聡は「ジャイアンツにアクシデント!」と連呼したのである。會澤を心配する一言があっただろうか。一言くらいはあったかもしれないが、ともかく上重聡は好投していた畠世周の降板と、ジャイアンツのピンチを連呼した。Twitterで「#carp」などを見てもらえばわかると思う。
おれはひさびさに腹の底から湧き出る不愉快さを感じた。これが読売、読売の犬であるアナウンサーの所作。読売は邪悪であり、その犬である上重聡は下劣だ。それに尽きる。
思えば、物心ついたころから関東のカープファンであったおれは、子供心に「ジャイアンツ贔屓」の野球中継を目にして、言いようのない不快感、いや、怒りを感じていた。三十年以上前、今よりずっとプロ野球というものが大手を振って歩き、読売が大きな顔をしていた時代のことである。
おれがよく覚えているのは、こどもの日にジャイアンツが勝利して「子どもたちへのプレゼントになりました!」という実況を聞いたときのことだ。おれも子どもなのだが、おれは負けたカープを応援していたのだ。ジャイアンツの勝利など胸糞悪いだけだ。こんなものが許されるのか、と思った。
もちろん、おれが住んでいたのは神奈川県である。関東圏である。ホエールズ、のちにベイスターズの存在があったとしても、読売の人気が高い地域であった。フランチャイズといってもいい。読売贔屓の放送をするのが当たり前であったかもしれない。今のおれにはそれがわかる。いくらかわかる。いくらかわかるが、その当時のおれにとって、巨人というのはこの世の理不尽さの象徴であった。
広島出身の父もそういうところには敏感であった。我が家は朝日新聞、日経新聞、神奈川新聞、そしてスポニチを購読していたと思う。しかしある朝、カープがジャイアンツに買った翌日、スポニチの一面が「ゴジラ空砲」というものであった。松井秀喜がホームランを打ったが、ジャイアンツは負けた、という一面だ。父はこれに激怒して、日刊スポーツに切り替えた。日刊スポーツとて、関東圏にあっては読売贔屓だったのだろうとは思うが。
というわけで、おれの反体制的、反権力的、反骨的な心持ちというのは、新聞、テレビの読売贔屓によって培われたといっていい。やがてプロ野球というものの地位が落ち、読売の地位も落ちていったと思うが、今夜の上重聡の実況はひさびさにおれにあの不愉快さ、理不尽さを強く思い出させてくれるものになった。
もちろん、野球嫌いにとってのプロ野球そのもの、あるいは広島カープ至上主義の広島における他球団ファン、阪神タイガース至上主義の地域における非タイガースファンという立場もあるだろう。おれはそれも肯定する。それぞれにブーイングすればいい。今夜のおれは読売に、上重聡にブーイングする。すばらしい詩人である田村隆一は「巨大なものはすべて悪である」と書き記した。おれは巨大なものを悪であると、いまだにわめきつづける。死ぬまでやめない。