あのときの双子は幻めいていた―Books&Appsさん寄稿あとがき

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またまたまたBooks&Appsさんい寄稿いたしました。とりあえず、読んで、よろしければブックマークなどお願いしたいところであり。

で、表題のとおりなのですが、あのときの双子の存在なのです。おれの原初の記憶というのは、「箱根のロープウェーを待つ霧の中の光景」(文字通り、霧の中をロープウェーが登ってくるというだけ)なのですが、はっきりしたエピソードとしては、この双子との思い出なのです。

双子と自分との関係については上の記事に書いた通りなわけです。ただ、書いていないことといえば、双子を連れていたお母さんというのが、自分の目には「おばあさん」にしか見えなかったということなのであります。幼稚園前の幼児である自分から見た、そのあやふやな記憶、ということはあります。それでも、たしかに双子のお母さんは、総白髪のおばあさんに見えたものです。

「母親と祖母を勘違いしていたのでは?」という問いも浮かびますが、その双子はたしかに自分より一年あとに幼稚園に入ってきたのです。もちろん、双子のお母さんはおばあさんに見えたその人でした。付け加えれば、今でも彼らの名字は思い出せますし、幼児期の空想ではなかったと言い切りたいところです。

今にして思えば、なんらかの事情によって祖母が育ての親になる、戸籍上の母になる、などということも考えられます。あるいは、幼い自分には白髪だけによって年齢を推定してしまったのかもしれません。今となってはわかりません。

いずれにせよ、年下の双子に身体能力で劣ったという記憶は、自分にとってかなり深く刻み込まれた記憶であり、その母である人が総白髪のおばあさんに見える人だった、というのも切り離し難い記憶なのです。

自分という人間の原初の記憶が、なにかできすぎ(村上春樹的に?)という気もしますが、まあそうなんだから仕方がないのです。そして、それが自分の人生に大きな陰を投げかけているといえばそうかもしれませんし、そうでないのかもしれません。

とにもかくにも、上記記事、よろしければお読みくださり、ブックマークなどしていただければ幸いなのであります。

以上。

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