映画『ジョジョ・ラビット』を見た。真紅のロマンホラーとは関係ない。
第二次世界大戦中、孤独なドイツ人少年のジョジョは周囲からいじめられており、イマジナリーフレンドのアドルフ・ヒトラーのみが救いだった。ある日、母親が屋根裏にユダヤ人の少女を匿っているのを発見したことから、政治的な考えが変わり、ヒトラーのナショナリズムに向き合うことになる。
ウィキペディアではこのようなあらすじとなっている。そんなに間違ってはいない。間違ってはいないけれど、「政治的な考えが変わり、ヒトラーのナショナリズムに向き合うことになる」というところは、果たしてそうだろうか、そんな単純に語られることだろうかと思う。むろん、ウィキペディアのような場所で簡潔にまとめるにはこれでいい。これでいいが、実際に見てみればそれでは片付けられないなにかがある。
ジョジョはナチス・ドイツの少年団の訓練で、ウサギを殺せず、手榴弾で自爆する。イマジナリー・フレンドはアドルフ・ヒトラー。顔と脚に傷を負う。母親のスカーレット・ヨハンソンはユダヤ人の少女を匿っている。
その年上の少女と少年の関係が、単純に「政治的な考えが変わり」といえないのところがある。そのあたりの移り変わりこそがこの映画の肝であって、見どころでもある。ゲシュタポとのやり取りや、片目を失った軍人とのやりとりは、面白くもあり、緊張感もある。そんなところを見てほしい。
この映画とて、ポリティカル・コレクトネスから叩くべきところはたくさんあるのかもしれないが、おれはそういう立場には立たない。いくら衣装がかっこよくたって、なにか人間の生きるところがあるぜ、と、そう思う。そんなところだ。