老いてますます盛んなことについて

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またまた、何度目か、Books & Appsさんに寄稿させていただきました。え、一つ前のエントリーがちょっといつもと調子が違う? なんですかね?

さて、この記事のお題は、老いとITということになりますでしょうか。これを並べると、老いた人間はITに対応できない、社会の発展を妨げている老害だ、という話になりがちです。

ですが、私の周囲の、客観的に見て老いて人たちは、リモートワークでもどんとこいの、ITに対応している人たちなのです。新型コロナのせいで「リモートワーク」なんて言葉が流行る前からそうだった。若い人に比べて少し遅いかもしれないけれども、ちゃんと要所を押さえて、対応してきた。そういう人たちもいるわけです。

そうなると、無敵じゃね? というのが私の意見なのであります。無敵は言い過ぎだとしても、黄忠と厳顔じゃないのか。老いてますます盛んだ。ITというのは、老いというハンデを埋め合わせる武器ではないのか。そういう話です。

SF的に言えば、電脳や義体といったところに話が飛ぶのでしょうが、そこまで行かずとも、人間の寿命が伸びているんじゃないのか、健康寿命とか、労働寿命とか。そのあたりについて、あまり言及されているのを見たことがない。そんな気がする。老いといえば新しいシステム、新しいガジェットから遮断されているような、そんなイメージばかり。でも、実際、そうだろうか。

むしろ、技術が進歩すればするほど、老体というものを補い(電動アシスト自転車の速さよ)、その蓄積された経験と能力を長く活かすことができる。そうなったとき、若者というのは……若者というのは50代くらいを指すことになるかもしれない。そんなふうに思うわけですが、どうでしょうか。

と、こんな妄想は、たくさんのSF作家たちがすでに描いてきたことでもあります。死すら克服した人間だって、SFのなかにはたくさんいるわけです。SF作家というのは稀有なプレコグなのですから、そうなってもおかしくない。

生老病死。老いは克服されつつある。病いも医療技術が進展すれば克服されるかもしれない。死、これについてはどうだろう。人間は死を逃れることができるのか。できたところで、そこに幸福はあるのか?

よくわからないおれは、反出生主義者として、いの一番の「生」をやめればいいのだと言いたいのですが、一方でSF者としてのおれは、なんらかのユートピア、克服された四苦を想像しないわけでもないのであります。

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