船橋方面から和歌山のお酒いただきました。丁寧に作られた夏みかんのリキュールで、皮まで使っていて微妙な苦味がいいアクセントになっている。これは美味しい。
梅酒じゃないけど、いいお酒です。
で、船橋方面というのは、船橋さんということになります。私、黄金頭がオフラインでお会いしたことのある人は、今まで五人しかいません。お一人は亡くなられました(あの事件ではありません)。で、そのうちの一人が船橋さんです。私の同人誌をほぼ独力で作ってくれた方と三人で会ったこともありました。
まあともかく、いつもお酒いただいてありがたい。船橋さんには感謝しかありません。でも、こうやって書いていて、恥ずかしいものがある。だって、なんかわからないけれども、いつも自分の書くものをやけに褒めてくださるからです。自分を褒める人について触れるというのは、これはもう照れます。恥ずかしい。いいすぎだ。ちょっと恥ずかしくて読めない。そういうレベル。
と、まあ、最近、こんなことお書きになられていた。
僕が(将来的に、あるいは文学史的関心から)知りたいのは、ひとつだけ。黄金頭さんの書くものに、どれくらい、どのような、影響を及ぼしてきたか、あるいはいま現在、影響(滋養。村上春樹風にいえば、滋味)を及ぼしているのか。
ほらもう、文学史的とか、そんなたいしたもんじゃあございません。で、これは女がおれの書くものにどういう影響を与えているかという疑問でよろしいでしょうか。たぶんそうですよね。日頃のお礼にもなりませんが、なにかしらちょっと書きます。
正直、たぶん、おそらく、自分が自分を把握できる範囲でいえば、「書くもの」への影響は、ほとんど無いんじゃないでしょうか。女はおれがブログを書いているのも知らない。読書の趣味もSFが好きというくらいしか共通点はありません。無謀にもすばらしい『ストライクウィッチーズ』の劇場版の円盤を貸したこともありますが、「男の子ってこういうの好きなのね、って感じ」と呆れられました。言われました。
でも、一方で、自分がものを書いていない、いわばリアルの領域で、「女」(カギカッコないと誤解されそうなのでつけます)なしでは、貧しさと精神病を抱えた自分が生きてこられたかどうかわからない、ということです。おれがシンジ君なら、女は真希波ということです。はい、だからおれはあっさりエヴァ成仏したのですね。
もちろん、今だって「女」一人に支えられて生きているわけではないのですが、二十代のはじめからそうだったということです。
で、日常がいくらか辛いものであっても、いくらか救われるところがある。考えることのすべてが暗くて悪い方にいかなかった。ということは、やはり書くことにも影響があるといっていいのかもしれない。よくわからない。
ただ、女なしではこのブログに会話というものが精神科医と母と弟とのものしか存在しなかった。それは言える。美術展や映画の感想ももっと独りよがりになっていたかもいしれない。そんなところです。
そんなんで、いいですかね。これもまた、書きにくい話を書いたな、という気になっておりますが。
ところで、船橋さんからお送りいただいた本について、進捗状況を。
これはおもしれー! と思って調子よく読んでいたのですが、物理的にどこかに行ってしまいました。「競馬の天才!」のバックナンバーを捨てたら出てきそうです。貰い物を、そんなん、よくないですね。
これはまず高橋源一郎の解説を読み、本編に入ったのですが、年度末の忙しさで読みさしになっています。あと、おれの馬券があまりに当たらないので、少し馬券の話を読みたくないという事情もある模様。
これはいただいた本ではないのですが、勧められた長谷川四郎の本です。図書館で借りたのですが、これもまた短編三編くらい読んだところで、年度末の忙しさもあって返却。クールだな(シベリヤだけに)、いや、スタイリッシュだな、と思ったので、またいずれ。
なんだかよくわからない話になりました。すみません。では、このあたりで。
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