令和四年 年頭所感

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やるなら今しかねえ。

と、言ってる時点でだせえんだ。

「やった」なら言ってもいい。

「やる」とか言うのはとんだマンモーニだ。

マンモーニでなにが悪い。

けれど、「やる」というのはだせえ。

「やる」と宣言するのはだせえ。

それでも、おれは言わなければやらないタイプだ。

なんらかの枷がなければ、やすきに流れるタイプだ。

そうわかっているから、おれはここで宣言する。

おれは今年、「やる」。

なにをやるのか。

なにか、作ってみる。

今までおれは、これといって、なにも、作らなかった。

今年は、作る。

作って、公募に応募とかしてみる。

おれは酔っている。

酔っているから言っている。

だからおまえに言っている。

やったならいい。

やるというのは恥ずかしい。

恥をしのんで書いているのだ。

やるといってもやらないということもある。

やらないのもおれだろう。

やらないならやらない。

やらないならできないからだ。

でも、やるなら今しかねえ。

やらねえかもしれねえ。

それでもやるっていうのだ。

それだけだ。