やるなら今しかねえ。
と、言ってる時点でだせえんだ。
「やった」なら言ってもいい。
「やる」とか言うのはとんだマンモーニだ。
マンモーニでなにが悪い。
けれど、「やる」というのはだせえ。
「やる」と宣言するのはだせえ。
それでも、おれは言わなければやらないタイプだ。
なんらかの枷がなければ、やすきに流れるタイプだ。
そうわかっているから、おれはここで宣言する。
おれは今年、「やる」。
なにをやるのか。
なにか、作ってみる。
今までおれは、これといって、なにも、作らなかった。
今年は、作る。
作って、公募に応募とかしてみる。
おれは酔っている。
酔っているから言っている。
だからおまえに言っている。
やったならいい。
やるというのは恥ずかしい。
恥をしのんで書いているのだ。
やるといってもやらないということもある。
やらないのもおれだろう。
やらないならやらない。
やらないならできないからだ。
でも、やるなら今しかねえ。
やらねえかもしれねえ。
それでもやるっていうのだ。
それだけだ。