丹野未雪『あたらしい無職』を読む

 

十二月某日

 郵便局の面接。アルバイト募集の幡がいくつもはためいている。学生らしき女の子の次に面接。「いま、どんなお仕事をしていますか?」という問いに、探していますと答えると、書類にあった「無職」にマルがつけられた。数日後、シフト表と給与振込の書類などが届いた。時給とシフトの勤務時間から給与を計算すると、来月の区民税、健康保険、年金の支払いですべて消えることがわかった。もはや勤労奉仕じゃないか。

栗原康の『アナキスト本をよむ』で紹介されていた一冊。編集者、ライターとして、ほとんど非正規で出版業界を渡り歩いてきた著者の、四十歳前後の無職日記。

実は少なくない人が経験している「無職期間」を考察してみた(丹野 未雪) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)

ネットにはこんな記事があった。それ以外はあまり見つからない。

とはいえ、この著者はできる人である。そうとしか思えない。新幹線や深夜バスの予約も一人でできるし(ほとんど横浜市中区の外に出ないおれにはできないことなのです)、いろいろな人脈もある。盆踊りに誘われたらどっか遠くに踊りに行くし、バンドに協力してツアーに付き添ったりしている。なんかのパーティなどにも誘われる。友人関係もある。すごい。

というか、本当にすごいのは、東京から地方に行って、一人でインタビューイーの写真を撮り、話を聞き、文章にまとめられることであって、それだけできる人なのである。それだけできるのに、生活のために郵便局のアルバイトをしなくてはならない。ブコウスキーもポスト・オフィスで働いていた。そういうことだ。

そしてさらに、知人に借金を申し込む。そのあたりはヒリヒリするところがある。貸す方にも、借りる方にも緊張がある。人間関係の破綻というものが予感される。それは予感に終わるが、それだけ金銭の貸し借りというものは人間関係にとってヒリつくものなのだ。一歩間違えればウシジマくんだ。

おれはといえば、今のところ正社員ではある。零細赤字企業の正社員だ。年収は300万円に届かない。届いたことがない。給料は安アパートの賃料と酒と競馬に消えていく。もちろん、この著者のような能力も、交流関係、人脈があるわけでもない。会社が潰れたら(極めて現実的で、近い将来訪れることだ)、数ヶ月は暮らせるが、あとは自死しか残されていない。

おれより能力も交流関係も満たされている人が、このような目に遭うのか、と思うと、もうやっていられない。おれに生き残る目は残っていない。この現代の日本社会というものは地獄にほかならず、一刻も早く逃げてしまうべきなのだが、おれには自死という方法によってしか逃れる方法も考えられず、それを実行する勇気もなく、ただひたすらに惨めなことになるばかり想像される。惨めの先にあるのも凍死とかそういうものであって、なんで生きているのかわからない。おれには借金を頼める相手もいないし、借金をするくらいなら死ぬしかないとしか思えない。

 

以上。