『86』と『ガールズ&パンツァー』に感じた、とても小さな変化

アニメ『86』の最終回(制作延期でのびのびになっていたやつ)と、『ガールズ&パンツァー最終章』の最新話を見た。

作品の方向性というかテイストはぜんぜん違うが、どちらも兵器でどんぱちやるという点では一致している。

それで、だ。そうだ、あんたが今、予想したとおりだ。ロシアのウクライナ侵攻が始まったあとに見たので、おれの心のなかで、なにかが微妙にむずむずしたのだ。

ここは大切なところなので、もう一度書く、「なにかが微妙にむずむずした」

リアルに戦車が砲弾を撃つような映像を見る。その先に人間の死があることを意識せざるをえない。死者の数も報道される。ドローンの攻撃で大破する戦車にも人は乗っている。

これは、意外におれの心にも影響があったようだ。おれはそれほどそういったことにセンシティブではない、と思っているのだが、やはりなにかはあった。

というわけで、あらためていうが、兵器がどんぱちやるアニメを見て、心のなかで、なにかが微妙にむずむずした。忌避感を抱いたとか、嫌悪感を抱いたとか、批判的になったとかいうわけではない。微妙にむずむずしたのだ。

「ああ、微妙にむずむずするものだ」。そんなふうに思った。

これがもっと敏感で倫理的な人ならば、「アニメで戦争を英雄的に描くなんてけしからん」、「女子高生をホビー的に戦車で戦わせるな」という意見も出てくるだろうな、という想像はできる。おれは「むずむず」だけど、「むずむず」で済まない人もいるだろう。なにせ、おれが「むずむず」するくらいだからだ。よくわからんか。

それでも、現実とフィクションにはそれぞれになんらかのつながりというものは存在して、そりゃ人間というものがやることなのだからつながらないはずもなく。とはいえ、なんでもかんでも一緒くたに「つながり」なのだ、というのも乱暴な話なのも当然で。

とはいえ、『86』はなかなかよい話であった。とくに、見捨てられた仲間たちが死に場所を求めて敵地ののどかな草原を行くシーンがよかった。このアニメは空想の世界の戦争ものなのだが、ところどころで花の、植物の描写がよい。ヒガンバナなど使われすぎだろうという気もするが、まあいい。

しかし、ちょっと気になったのは、固有名詞として「マグノリア」と使われたり、というか、普通に英語が使われている点で、これはSFというよりファンタジーの抱える問題というものに近いのだろうが、作り込まれていればいるほど、逆に「英語」というこの現実社会のものの存在が浮いて見えてしまう。そのあたりは、作者がその世界の言葉をわれわれの言葉に訳しているのだ、という見解も有力だが、アニメのように映像化されてしまうと、なんとなく「訳している」だけではすまないような気がして。

まあ、そんなことは些事ですか。最終回とか好きでしたよ。あと、amazarashiのオープニングもだれだったか、エンディングもよかったな。

ガールズ&パンツァー』。これはもうなんだかわからんな。テレビが終わり、映画があり、いま続いているのはOVAなんか。なんかもう、ただひたすら戦車がどんぱちやるだけで、その動きも面白いのだが、なんだかそれだけだっけ、みたいなところもあり。あと、登場人物が多すぎて名前とか覚えられません、みたいな。それでも最後まで見るけどな。

以上。

 

 

 

 

「継続高校」はいいよね……。