佐々木閑『科学するブッダ 犀の角たち』を読む

 

 

なにやら、具と麺が乖離していてべつべつのものを食べたような、そんな本であった。前半は「物理学」、「進化論」、「数学」についての歴史が記されている。それは西洋のものであって、科学の人間化(≒神の視点の排除)について述べられている。

一方で、後半は仏教の話となる。とくに、仏教の根本である釈尊の話になる。その話になる。

あるていど傲慢な言い方になれば、(おれは科学というものを解する知能もないが)、あるいていどは科学の話も知っているし、(おれは仏教というものを心底探究したわけでもないが)あるていどは仏教の話も知っているし(それこそ佐々木閑の本だって読んでいる)、そこをお前の力でつなげてみせよと言われると困るし、なんかそんな感じであった。

ただ、へんな言い方だけれど、科学史というものを振り返ってまとめてみるに前半は有用であるし、多種多様に発展してしまった仏教の根本を見るに後半は有用だろうと思う。そんな本だった。おれの両者に対する理解の浅さがこのような感想になってしまったことは、あらためて言及しておく。

 

以上。

 

あ、最後に引用されていた『スッタニパータ』の一節を書き留めておこう。

 

究極の心理へと到達するために精励努力し、
心、怯むことなく、行い、怠ることなく、
足取り堅固に、体力、智力を身につけて、
犀の角の如くただ独り歩め