このごろ赤ペンを使わないおれの競馬予想スタイルについて

 

このところ馬券の調子がよい。よいといっても大穴を当てて年間プラス収支やで、ということはない。だが、一つの分岐点である75%をうかがえる位置にいる。先週だって土曜日の最終レース三場全部当てたりして快調だ。

して、このごろのおれは去年まで二十年以上続けてきた予想スタイルを変えた。いや、気づいたら変わっていた。赤ペンを、使わないのである。気づいたら、そうなっていた。

「え、紙の新聞をやめたの?」というと、そんなことはない。それは無理だ。東スポの馬柱なしに馬券を買えと言われたら苦痛だ。ただ、ペンを使わなくなった。今まで、□1が並んでいる逃げ馬に線を入れてレースのペースを予想するだとか、上がりの速かった馬などをチェックするなどだ。

だが、べつに、線を引く必要なく、腕を組んでじっと馬柱を眺めれば逃げ馬が多そうだとかわかるし、上がりが速かった馬は東スポが強調表示してくれるし、なにより数字が書いてあるじゃないか。基本的にあまり気にしないが、馬体重が気になれば亀谷敬正のスマート出馬表で見ればいい。紙の馬柱と投票機能付きのスマート出馬表のいずれかがなくなったら、おれは競馬をやめてしまうかもしれない。もしnetkeibaがなくなったらいろいろ不便だが、それよりも大変なことだ。

まあともかく、つまりは、赤ペンでなんか線を引いて「予想しているぞ」なんて、単なるポーズにすぎなかったのである。一人自宅で競馬やっていて、だれに対するポーズかわからないけれど。ともかく、紙面に集中する時間がわずかに伸びた。じっくり見ることができるような気がしている。

どうして、そうなったのか。赤ペンをなくしたのか? それはない。いつなくしてもいいように、何本も定番のあれがあるからだ。たぶん、一月あたりの抑うつが強めの時期、赤ペンを持つ気力すらなかったのではないか。そこで、じっくり見るという習慣がついた。

あと、その時期、「この体調では競馬なんて当たるはずがない」と思ったのもよかった。「どうせ当たらないのだから」と買い目を絞り、無駄な単勝なども買わなくなった。あと、酒を飲みながら競馬することもなかった。その結果、穴馬券からは遠のいたものも、土日で一度も当たらないみたいな事態が避けられるようになった。不思議なことに。

まあ、赤ペンは副産物だ。じっくり馬柱を見て、スタンダードな馬券を、無駄な買い目を減らして、買う。

競馬に勝つのは難しいが、最低限続けること。その目標でおれは二十年やってきた。たぶん。「この馬券を買ったら、もう今日は馬券が買えない」というような事態を避けて生きてきた。ほそぼそと、負け続け、それで競馬を続けてきた。

もしも、今の予想スタイルが持続できるならば、その目標に適しているといえるだろう。むろん、このままでは回収率100%を超えるのは難しいかもしれない。そのあたりは課題だ。自信のあるレースに一発賭けてみるべきか、やはり少し釣り糸の数を多くするべきか。悩みはつきない。

 

 

定番のあれ。