大阪万博の記憶


万博の会場に入ると、参加した四カ国のブースが軒を連ねていた。トルコのブースではドネル・ケバブが売られていた。ケバブサンドも人気らしい。タイのブースではカレー。メキシコのブースは豆と野菜いっぱいのタコス。あとはどんなものがあったのか思い出せない。

 

あとはもちろん、開催国日本のブース。たこ焼きやお好み焼き、大判焼きなどよりどりみどり。わたしは冷やしきゅうりを一本買った。400円だった。これも万博値段なのだろう。

 

わたしは広大な芝生広場にすわり、きゅうりをかじった。少し離れたところから歌が聞こえる。西成の歌姫の魂の歌唱だ。まわりには常連客たちの姿がちらほらと見えた。おれは空を眺めた。まわりには高い建物などなにもない。高い空。

 

しかし、その空を覆う巨大な構造物があった。木製のリングだ。この木製の超巨大リングができたのは何十年も昔のことだという。その巨大な建築費から、当初の予定を超えて、時代を超えて使われることになった。耐久期限はとうに過ぎている。しかし、もはやこの国には撤去するお金すら残っていなかった。そして、毎年万博を開催している。

 

わたしはきゅうりを食べ終えると、割り箸をゴミ箱に捨てて万博をあとにした。歩いて橋を渡るその先には野鳥園があった。この国から野鳥がいなくなってから久しい。すべて、名前だけが残る。ほかに何も残らない。われわれは記憶すら失ってしまった。こわれしまった旧世代のロボットのように、ただ歩く。目の前には、ただ巨大な荒野が広がっている。