『三体』の劉慈欣の長編デビュー作『超新星紀元』を読む

 

超新星紀元

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1999年末、超新星爆発によって発生した放射線バーストが地球に降り注ぎ、人類に壊滅的な被害をもたらす。一年後に十三歳以上の大人すべてが死にいたることが判明したのだ。"超新星紀元"の地球は子どもたちに託された……! 『三体』劉慈欣の長篇デビュー作

 

『三体』は名作である。とはいえ、その著者の20年前の長編デビュー作が名作とは限らない。

 

『超新星紀元』。あらすじは上に引用したとおりだ。大人が死に絶えて、子供だけの世界が到来する。ただ、急に大人は死に絶えない。猶予が少しだけあった。なので、子供たちだけで生きていけるような準備をする。どういう準備をするのか。そのあたりはなかなか劉慈欣っぽいような気もする。あ、話の舞台は完全に中国で。

 

でもって、子供だけの世界が来る。今の時代に書かれていたら、AIが大活躍するだろうなと思ったら、ちゃんとそういう量子コンピュータが存在している。そのあたりはお見通しだ。ただ、すぐに出てこなくなる。

 

おれはネタバレが嫌いなので、自分でもあまり書かない。ただ、話はトンチキな方向に進んでいく。「大人たちの世界とは違い、子供社会はぜんぜん別のものになる」ということになる。そこまではいい。「遊び社会を中心とした社会だ」。そういうものもあるだろう。

 

が、どうしてそうなるの? という急展開に。なんでそんなゲームになるの? という説得力は正直、感じない。最後はさらに一転させてみせて、その発想はかなりの驚きで予想もできないものだったが、「なんで?」というのは残る。あ、ただ、エピローグはちょっとだけ予想できたぞ。

 

というわけで、大ファウルみたいな作品。やっぱりデビュー作。バランスがどうも悪いところもある。兵器や戦闘描写に妙にこだわりすぎていたり。あとは、この世代の中国人が日本をどう見ているかなど……、いや、やはり一番はアメリカ観ということになるのだろうな。なんかそんなところも「素」が出ている。

 

でも、おもしれえよ。SFというかフィクションを読むのは久々だったけど、一気に読み切ってしまった。ただ、「もし『三体』がなかったら、これを日本語で読むことはあっただろうか?」とか思ってしまうのは確かで。

 

というわけで、まだ『三体』読んでない人が、「先にデビュー作の『超新星紀元』から読んでみようか」というならおすすめしない。いきなり『三体』を読んだほうがいい。そのあとのほうが、こっちの、まだ洗練されていない大展開も楽しめるに違いない。

 

とはいえ、なんかこう、SFの初期衝動というか、SFってこんなんだよなっていうのは感じた。最近のインタビューで「西洋のSFは、社会問題に取り組みだし、いまのSFは、私から見ると、SFなのかどうかもわからないものになっています」と言っているが、そういうところはある。『三体』はそういうところをふっとばすくらいのSF力があった。フルスイングだ。

 

とはいえ、この『超新星紀元』もまあ社会問題といえば社会問題、いや、現実的でない社会問題を扱ってはいるか。一つのジャンルとしての「子供だけの社会」。その想像。本作は先に書いたようにわりとトンチキでおもしろくなってしまっているのだが、まあそのおもしろさもいいだろう。

 

まあ、なにせおれが最初に読んだSFらしいSFとなるとフィリップ・K・ディックの『ザップ・ガン』であって、『ザップ・ガン』の世間的な評価はディックのA級作品に比べたらあれもいいところだろうが、やっぱりなんかあった。「SFってなんかあるかも?」と思ったので、おれはいくらかSFを読むようになった。というわけで、偶然『超新星紀元』からSFに入る人もいるかもしれない。でも、あえてここから入ることはべつにおすすめしない。そんなところ。