おれはどれだけ優秀だったら救われたのか?

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おれはどれだけ優秀だったら救われたのか?

考えだすと止まらない。そしていつも同じ所を廻るだけ廻って結論など出やしない。勘違いしないでほしい。おれの言う救いなどというものは、億万長者になるとか、この世の真の姿を知るとか、無の境地に至るとか、そんなたいそうな話じゃない。食うことへの恐怖から自由で……自由であればもうそれでいい。正確に言えば衣食住、だろうか。これを失うことへの恐怖。これから自由であると感じられる、継続した精神状態がほしい。それが救いというものだ。

しかしまあ、ネットなど見回しても(その範囲は大いに限られているが)、おれのようなレベルで苦しんでいる人間というものはあまり多くないように見える。彼なし彼女らは、いったいどれだけ優秀なのだろうか。あるいは、なにか必殺の武器を持っているのだろうか。たぶんそうだろう。だから食える。その上で人生を豊かに過ごせる。すなわち救われている。あるいは社会正義に問題意識を持ったりすらできる。救われている人間の声は大きい。救われている人間の声は美しい。いずれも、おれに、ないもの。

おれにはどうも、沈みゆく現状から抜け出す気もなければ気力もないのだ。かといって、放っておいても拾い上げられるような才覚もなければ、体が資本といえるような体躯を持っているわけでもない。そのどちらか。できれば前者があればよかった。いや、後者か? どっちにしろ高望みだろうか。そうかもしれない。

おれは金に換えられるだろうか。正確に言えば、おれは労働力として存在することが許されるのだろうか。よくわからない。学歴といえば高卒。イラレとフォトショップは触れます。インデザも少しわかります。触ったことのないWordPressのテンプレートを行き当たりばったりで修正したりはできます。しかし、体系的になにかを体得しているということはありません。だれかになにか自らの専門をレクチャーすることなどできません。三十代も半ばになって、そんなものだ。さらにいえば、決定的に他人と接することができない。人脈はこと切れている。あらたに繋ごうという意図は神経細胞の軸索の先ほどもない。

単純作業ならできるだろうか。双極性障害睡眠時無呼吸症候群持ちのおれが。夢中になりさえすれば、何時間でも同じことに集中できるが、そうでなければ静かに気を散らして、何度もトイレに行ったりするようなおれが。

どこかで間違ったのか。そもそも間違いだったのか。いずれにせよ、どこか裏側には傲慢と自己愛がある。そうと知れたところでどうにもならぬ。正す手立てを考えるのも億劫だ。これが終わるのはいつだ? おれの想像では二年後くらい。早まる可能性もある。そうとでも思わなくてはやっていられない、このみじめさたるや。