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獣臭くないラーメン論 『ラーメンと愛国』

 

ラーメンと愛国 (講談社現代新書)

ラーメンと愛国 (講談社現代新書)

 

 こないだ今時のラーメン屋に生まれて初めて並んでみて、ふと『ラーメンと愛国』なんて本があったっけっと思った。読んでなかったっけと思った。そう思ったっけ、読んでみたっけ。

 本章はここまで、ご当地ラーメンが「郷土の気候、風土、知恵が混じり合い、その地域に根ざした」ものであるという言説に異を唱え、観光化のかけ声とともにあるとき突然変化したものであって、「地域の個性や特性」を反映したものではないということを指摘してきた。むしろ戦後の日本において、地方が個性を失い、固有の風土が消え去り、ファスト風土化する中、観光資源として捏造されていったのがご当地ラーメンであるというのが筆者の主張である。

第四章「国土開発とご当地ラーメン」p.177 

……とか、こんな感じのラーメン論が繰り広げられ、東海林さだおが描いてきたような、『渡る世間は鬼ばかり』の幸楽のようなラーメンが消えていき、「作務衣系」のラーメンが台頭するそのダイナミズムを快刀乱麻してくれる……のかと思った。

が、なんとも方向性ばらばらのスープと麺と具である。戦後アメリカの小麦粉の話、安藤百福と大量生産の話、ケロッグ博士が「女性には性欲がない」と思い、妻と生涯一度もまぐわらなかった話、「支那そば」や「中華そば」といった言葉が「ラーメン」に集約されたのはチキンラーメンの普及によるのが定説だという話、ご当地ラーメンの走りは喜多方ラーメンで現・林家木久扇がテレビで紹介して広まったという話、映画『タンポポ』に登場するラーメン通の話、そしてなんというか、いろいろふらふらしていって、最後の最後の方でタイトルについてちらっと接近するようなところがある。

おそらくは、なにかしらアカデミックで真面目な手順を踏み、わかる人にはわかるように書かれているのだろう。だが、おれはアカデミックで真面目ではないので、むしろ「作務衣系」ラーメン店の店主の人生訓本の一冊でも読んだほうが面白いかな、などと思ってしまった。

とはいえ、どこまで辿ってもオリジナルが存在しないが、それが伝統になっているというのは、日本のヤンキー論に通じるところがあるなあ、と思った。ラーメンとヤンキー。

d.hatena.ne.jp

あるいは、演歌だってそういう「創られた伝統」、「日本の心」である。

d.hatena.ne.jp

っつーことは、この国はそういう国なのかい? というと、そうなのかもなあという気はする。勘違いしてほしくないが、別に悪い意味で言ってるんじゃねえよ。真のオリジナルがない国、パロディがパロディにならなくなってしまう国、この日本という泥沼。それはそれで一つの形なんじゃねえのか。誇れるものでも、誇れないものでもないが、そういう傾向がある。そこんところを理解した上で、伝統だのなんだの言ってる物言いを見てみる、そんな必要があるのかもしらん。そんなとこ。

あ、あと、こんな真面目な内容の本の割に、読んでいてラーメン食いたくなる気分は割りと出てくる。昼飯に、ふだんはあまり食べないカップ麺を食ったりした。

 

 具体的にいえば、今日これを100円ローソンで買って食ったそれなりにうまかった。そしてまた、おれは図書館への通り道にあるあの先進的なラーメン屋にまた行きたくなってるし、本書でも大きく取り上げられているラーメンの歴史修正主義(?)の場である、新横浜のラーメン博物館あたりにも行きたくなっていしまっているのである。とはいえ、華隆餐館が有る限り、目の前のラーメン二郎 関内店に入ることは出来ないのだが。おしまい。