映画の詩、詩の映画『パターソン』

パターソン。

映画のタイトルであり、主人公の名前であり、主人公の住む街であり、主人公が運転する市営バスの行き先でもある。

そのパターソンはなにをするのか? 愛犬を殺された仕返しにギャングを皆殺しにしたりするのか? そんなことはしない。では、愛するパートナー以外に恋してしまい修羅場になるのか? なりはしない。

愛犬は飼い主の目を盗んで玄関に飛び出すと、郵便受けに体当たりにして傾ける。帰ってきたパターソンが、まっすぐに戻す。

パターソンの彼女は、フリーマーケットにマフィンを焼いて出品して、一日に286ドル稼ぐ。自分を誇らしく思うという。しかし、夕飯に出したパイはパターソンに気に入られなかったようだ。

そしてパターソンは日々、詩を書く。ノートに書き込む。詩を書く少女と出会う。日本から来た詩人と出会う。パターソンは詩を書く。

そんなんで、一週間が過ぎる。

いったい、何映画なのだろうか。おれにはわからない。わからないが、おれはこの映画を気に入った。パターソンの詩は字幕になって画面に出てくる。その手書き風フォントすら素敵だ。なんのフォントだろう?

cinemore.jp

 さて、本作の詩情が素敵なのは、その詩の見せ方にセンスが溢れているからである。

 ひとつめの要因は、パターソンが綴る詩を、ジャームッシュが以前から愛読してきたロン・バジェットが担当していること。そして最大の要因は、パターソン(ロン)による素敵な詩がパターソンの風景に合わせて、スクリーンの下から上へとスクロールしながら手書きの文字で記されていくのだが、この字がとてもシャープで繊細で、もだえるほど素敵だからである。ちなみにこの字は、パターソン役のアダム・ドライバーの手書き文字をフォント化したものだ。

パターソンの字はパターソンの中の人の字だった。おれはウィリアムス・カーロス・ウィリアムズもアレン・ギンズバーグもよく知らない。パターソンの詩うまく韻を踏んでいるのかも知らない。中間韻というのがなんなのかも知らない。それでも、おれはパターソンの詩もいいと思うし、パターソンの佇まいも好きだ。

だから、なんだっていい、これはナイスな映画だ。実のところジム・ジャームッシュという監督のこともよく知らなかったが、いろいろと観てみようかと思う。以上。