リアルタイムの人と一緒に映画『ボヘミアン・ラプソディ』を観る

最初はエマーソン・レイク・アンド・パーマーのファンだった。ピンク・フロイドも聴くようになった。プログレッシブ・ロックを聴いていた。だが、そこに現れたのが見た目もかっこよく、歌もわかりやすいクイーンだった。『ミュージック・ライフ』にもよく特集されるようになった。来日ツアーにも一人で行った。フレディ・マーキュリーよりブライアン・メイが好きで、ブライアン・メイが白いマニュキュアをしていたので、自分も白いマニュキュアをした。たまたま隣にいた女性から、「あなた、ブライアン・メイのファンなの?」と声をかけられた。そのまま「ファンクラブに入らない?」と誘われたので入った。小さなファンクラブだったが、クイーンの人気とともに統合され、最後は大きなものになった。今までファンクラブというものに入ったのはクイーンが最初で最後だ。

……という女と一緒に映画『ボヘミアン・ラプソディ』を観に行った。

映画『ボヘミアン・ラプソディ』公式サイト 大ヒット上映中!

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……だから、女にとってはQueenというのは非常に身近なバンドであって、それが映画化され、世界で公開され、日本でも人気だということに実感がわかないという。ちなみに、この日の映画館も満席であった。

それはたとえば20年後、Suedeが映画化されて驚くおれ、のようなものだろうか。「いや、ここでブレット・アンダーソンとバーナード・バトラーとの劇的な復縁が描かれているけど、実際のところはザ・ティアーズって商業的には失敗したバンドがあってさ……」というあたりだろうか(わかりやすいたとえだが、わかる人が少ないのが難点。いや、クイーンとスウェードじゃ比べ物にならないですよね)。

で、おれとQueenとなると、音楽を自発的に聴き始めたころ、ベスト盤くらいは買ったかな、というところだ。だいたい1994年だ。スウェードのファーストが出た直後くらいだ。いくつかの曲は気に入ったし、今でも「こう来たら、こうなる」というように頭には染み込んでいる。が、おれにはちょっと「濃すぎる」感じがして、名だたるロックのレジェンドの一つとして箱にしまっておくことになった。ちなみに、おれの感覚だと、クイーンというのは実際よりも10年前くらいのバンドというイメージを持っていた。あと、フレディ・マーキュリーについても後期型(?)のイメージしかなく、出てきたころに少女たち、そして少女漫画家たちを魅了した美形(メンバーも)という印象はまったくなかった。

というわけで『ボヘミアン・ラプソディ』。

美形のイメージもなかったが、フレディ・マーキュリーが出っ歯というイメージもまったくなかった。なので、映画序盤は……いや、正確にいうと終盤までも、「なんかイヤミみたいだな」と思ってしまったのは告白せざるを得ない。そして、おそらくはフレディ以外も非常に濃いキャラであったろうメンバー3人も、それぞれにそれほどは濃く描かれていなかったのかな、という印象はある。が、やはりフレディ・マーキュリーにスポットを当てた映画である以上、仕方のないことなのだろう。

と、なにかマイナスになるようなことはここまで。もう、あとはプラスしかない。おれはたまに映画について「魂がある」とか「魂がない」とか言うけれど、その曖昧模糊で自分でもよくわかってない基準に則って、この映画は「魂がある」映画だと思った。

むろん、ある者がなにかを成し遂げ、失い、取り戻し、さらに得る、という展開は、なにかしら物語のスタンダードではあるだろう。でも、そのスタンダードは人々を感動させるからこそスタンダードなのであって、やはりおれも最後のライブ・エイドのシーンにはうるっとくるところがあった。そうだ、それでもって、なんともこの、観たあとにスッキリしてしまって、詳細についてあまり覚えていないような感覚、この、おれの脳内をスカッと通過してしまったような感覚というのは、やはりこれもいい映画の条件なのである。

というわけで、映画の詳細についてあれやこれやは言うまい。農場の小屋でのアルバム制作中の写真がたくさん「ミュージック・ライフ」誌に載っていて、そこには「撮影用」のフレディの女性恋人がいたらしい、などということはどうでもいい。

西洋社会におけるゾロアスター教徒の息子にして(複雑な出自についてはこの映画を観るにあたって知った)、バイセクシャル(で、いいのかな?)という十字架を背負ったフレディ・マーキュリー。その生き様である。それはボヘミアンであり、一方で、凄まじい数のオーディエンスと一体になるエンターテイナー、アイドルでもある。そこのところの、孤独はやや弱く、エンターテイナーとしてはやや強く、がこの映画の基調だろうか。おれは、フレディ・マーキュリーという人が、非常にマッチョな(ようするに後期型の見た目と歌声のパワフルさによるものだが)人としか思えていなかったのだが、その繊細なところをこの映画で知ったような気になれた。

……知ったような気になれた。どうしようもなく、そういうところはある。そこが、おれの女との違いである。おれは、ブライアン・メイが白いマニキュアをしていたことなど知らない(ちなみに、検索してもあまり出てこないが、まったく出てこないわけでもない)。しかし、おれはクイーン体験をした、いや、やはり映画『ボヘミアン・ラプソディ』体験をした、というにとどめておこう。おれに言えるのは、やはりそれくらいのことだろう。そして、また言うけれど、これは魂のある映画であって、でかい音のする映画館で観て損はないぜ。

 

グレイテスト・ヒッツ

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Greatest Hits

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……若き日のおれは、たぶん、こんなのを聴いたのだと思う。

 

ボヘミアン・ラプソディ(オリジナル・サウンドトラック)

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