号について

 競走馬の名で話題になるのは冠だ。冠名ごとの個性だとか、あるいは冠名自体の是非論など。しかし、「号」について語られることは少ない。上にもある「ノーザンテースト号」の「号」だ。
 俺が「号」について気にするようになったのは、かなり前にギャロップ誌で読んだ小島良太調教助手(小島太厩舎)の連載で触れられていたからだ。その内容は「号というのは新幹線や乗り物に使われるもので、馬には使って欲しくない」というようなものであった。俺は馬に付く「号」は漠然と敬称だと思っていたので、この見方には意表を突かれた。と、同時に「馬に使っていた号を乗り物にも使ったのではないか」とも思ったのだ。
 そこで今回ちょっと辞書などをひいてみた。広辞苑には「名称。呼び名。また、列車・航空機・艦船などの名の下に添えて用いる語。」とある。講談社の日本語大辞典には乗り物の他に「動物」と挙げられている。動物、といっても、馬以外に「号」付きは見たことないけれど。しかし、こうなると、やはり乗り物が先なのだろうか。
 もしも、列車、航空機、艦船以前の馬名に「号」が用いられていれば馬が先だ。ということで検索してみる。が、それら近代乗り物以前の馬となると、「池月」(id:goldhead:20041129#p4)「磨墨」「赤兎馬」くらいしか思いつかない。調べてみても、当時「号」付きかどうかはわからず、少なくとも後世の人が使ってるとしかわからない。他には昭和天皇の愛馬「白雪」号だとか、‘敵の将軍’ステッセルから乃木大将に贈られた「寿」号だとかは出てくるが、時代的に微妙だ。
 もっとも、そんなことは視野狹窄。「号」自体はメイショウ否名称全般に使われる言葉(屋号、謚号、称号)であって、それ自体どうこうというものでもない。結局のところ、ファンとしての俺は「号」は称号と思い、馬に身近に接する調教助手からは違和感がある、というだけだ。