堀江貴文と鏡の国の夜について

 昨夜、テレビゲームを切り上げて寝ようとしたところ、画面からただならぬ雰囲気を感じてしばしチャンネルを合わせてしまった。日本テレビ「今日の出来事」。渦中のホリエモンが司会のアナウンサーと解説員相手に、かなりシリアスなムードを作っていたのである。
 しかし、ホリエモンホリエモンなどと言われ、のんきデブ風の外見すら持つ堀江だが、その中身は東大中退でベンチャーを立ち上げ、一代でここまでのし上がったモンスター。そのモンスターに論戦(舌戦?)で挑むには、ちとあの二人では力不足であった。いや、あそこまで敵対ムードになることすら予想していなかったのだろう。イエス・ノークイズの内容と雰囲気のギャップはたいしたものだった。
 俺は経済や市場のことなどとんとわからないし、口を出せるような知識もない。ただ、昨日見ていて思ったのは、確かにそこにマスコミの自主防衛機能が働いているということだ。俺はマスコミを敵視する人間ではない。それどころか、‘マスゴミ’なんて下卑た言葉は大嫌いだ。それでも、マスコミが自らの権利、権威、領域が侵されそうになると、右も左も上も下も揃ってハリネズミみたいになることを知っている。俺はその点について、マスコミの不健康さを感じずにはいられない。
 そこを堀江は指弾していた。しかし、あれは頭の切れる人間の悪い癖で、先回りして根っこを突いてしまう。話がそこまで進んでいなかったり、相手がそこに考えを及ばせていなかったりしたら、ろくな反論すら得られない。端から見ていても拙攻という気がしてしまう。相手をねじ伏せる点において堀江は圧倒的だったが、それを上手く第三者にアピールする点において詰めが甘かったように思うのだ(もちろんそれは、この一連の騷動の良し悪しや勝ち負けでなく、昨夜の番組についての話である)。
 しかし、あんなピリピリしたムードは、テレビ越しでも見るのはつらい。そんな中、次のニュースとして出てきて、荒んだ心に暖かい風を運んでくれた人がいる。ミラーマンこと植草一秀その人である。本来なら一流の経済評論家としてライブドアニッポン放送の件についてコメントしていたことだろう。けれど、「手鏡没収」というニュースとともに画面に現れてくれたあなたは、経済なんかより素敵なことを僕らに教えてくれた。ありがとう、ミラーマン。さようなら、ミラーマン。鏡の国が永久に平穏であらんことを。