誰かが何かを起こした

 出勤前、アパートの部屋の外から男の話し声が聞こえてきた。このアパートは山の斜面にへばりつく、不気味な九龍城のようなところなので、滅多に人の話し声など聞こえない。通行人は入り込まない。俺は、そろそろ春が近いから不動産屋が客を連れて来ているのかと一人合点してみた。が、ドアを開けドアを閉め鍵を閉めてふと下を見ると、制服姿の警察官二人と救急隊員数人が、俺の棟の下の階の一部屋のドアを開いたその前に集まっているのが見えた。俺は驚いた風を装った内心驚きながらじっと見たけれど、制服姿の警察官が視線を返すばかりで何が起きたのか一向に分からない。立ち止まるわけにもいかず長い階段のその下に目をやると救急隊員が二人一つの最新型の担架を挟んで上を見上げていた。二人は呆れるように上を見上げながら「学生さんが住んでいるところですかね」「だろうなぁ」と話しこんでいた。俺はよほどその二人に話を聞いてみようかと、警察官は厳しい顔をして何も話してくれないけれど、彼らからなら話を聞けるんじゃないかと頭をかすめたのだけれど、ついぞ話しかけるタイミングを逃した俺は、風邪のせいでマスクをしていてまるで顔を隠した罪人のような風体であったせいもあろうか。
 何か世間の興味をひくような話であればどういう経路かでいずれ俺の耳にも入るだろう。ただし俺はすでに大量の興味を抱いてしまっている。俺はいろいろ考えてみる。
 担架と救急隊員が来ていたということは、これは空き巣や物取りではなく、「誰か」が対象ということだ。しかし、俺がゆっくりと階段を降りる間も「誰か」を運び出そうという気配はなかったし、ある種の慌ただしさはなかった。担架ははるか階段の下で待機させられていた。「誰か」は緊急に運び出す必要がないのだ。可能性はいくつかある。

  • 一つ目は「誰か」がその場に居るはずなので駆けつけたが「誰か」は居なかった。
  • 二つ目は「誰か」がその場に居たけど治療の必要がないくらい普通の状況だった。
  • 三つ目は「誰か」がその場で緊急処置を受けなければならないほどの状況だった。
  • 四つ目は「誰か」がその場で人でなく保全されるべき「現場」になってしまった。

 
 もはや余計なことを言うまい、俺は四つ目の可能性ばかり考えている。誰かがあそこで死んだのだ。俺は今朝の六時四十五分に目を覚ました。俺が普段起きるのは七時半だ。俺は誰かが「ハハハー」と笑う声で目が覚めた。女の声で「ハハハー」と聞こえたので目が覚めた。今思えばあれは笑い声だったのだろうか?