ワールドカップアジア最終予選 日本対バーレーン

 帰宅したのが後半二十分過ぎ。ちょっと冷蔵庫の方へ発泡酒を取りに行ったすきにビックリのオウンゴール。そして、試合終了までの緊張。僕はサッカーの試合を見るのに慣れていないから、発泡酒を飲むタイミングがいつもわからないけれど、昨日は違った。それから二本も飲んだ。一日に二本も350ml缶を開けるのは、一年に一度あるかどうかというお祭りだ。ポテトチップスをかじりながら、缶を二本開ける。こんなに地味なお祭りは世界に類を見ない。
 残り二十分を満喫した後、すぐさま前半戦のリプレイなど。どうもずっと押し気味だったようだ。それなのに点が入らない。ホームで押してる試合でも魅せてくれるもんだ、我らがジーコジャパンは。しかし、画面の左上に出ていた「日本快勝」のテロップ。これが快勝というのならば、俺の祭りも日本の祭りだろう。酔っぱらった頭で「惜勝」などというわけのわからぬ言葉が頭に浮かんだりした。「辛勝」だよな。と、思いきや、試しに検索してみたら小差の勝利などを「惜勝」と表現してる人がいないわけでもない。しかし、それじゃあ意味が通らない。たとえば、八百長が仕組まれた試合で、巧く負ければ大金を受け取ることができるのに、間違えてギリギリ勝ってしまったとか、そういう場合が「惜勝」だろか。まあ、昨日の試合とは関係ない。
 それにしても、スポーツの残酷さを見た。もちろん、オウンゴールの話だ。オウンゴールは昔、自殺点と呼ばれていたとも思う。サドンデス(突然死)と同じく語感が嫌われて変更されたのだろうか。しかし、昨夜のなどを見ると、そもそも「自殺」ではないよな、と思ってしまう。戦場で味方の兵士がくるっと後ろを振り返って機関銃を乱射しても、それは「自殺」じゃないもんね。「自殺」は普通自分一人で死ぬもんだ。サッカーの場合、死ぬことすら許されず、泣きながらも戦い続けなきゃいけないから、なお辛い。
 バーレーンの‘誤射’司令塔サルミーン。この名はすぐさま忘れられていくだろう。次に試合があれば次の場面が生まれ、新たな名前、名前、名前が積み重なっていく。僕もその名を覚えていられるのもあと数日だろう。しかし、勝負の下で拭っても拭い切れぬ涙を流す者がいる、その残酷さは胸に刻んでおこうと思う。そして、そういう執念や怨念が新しい歴史を作っていくのだ、きっと。