北朝鮮観客暴徒化日本戦無観客試合

http://www.nikkansports.com/ns/soccer/p-sc-tp0-050331-0031.html

W杯アジア最終予選B組の北朝鮮−イラン戦が行われた平壌金日成スタジアムで30日、主審の判定に不満の北朝鮮サポーターが主審やイラン代表選手に向かって瓶や石などを投げつけ、一時暴徒化した。

 このニュースは意外であった。アウェイでの日本戦について、「選手やサポーターは安全なのか?」という話題をテレビで見るたびに、「そりゃ安全だろ」と思っていたからだ。無論、北朝鮮が平和で安全な国家というのではない。国家が国民を統制しているという点において、少なくともワールドカップ予選で民衆の暴徒化などは無いと思っていたのだ。マスゲーム見栄を張るのと同じように、一挙手一投足まで決められた観客が動員され、非常に無機質な視線の中で試合が行われるのかと。それが、このザマである。
 暴徒化で思い出すのは、アジアカップにおける中国人だ。中国も同じく一党独裁国家だ。しかし、その経済自由化によって、民衆は共産党のコントロールの効かない存在になってしまっている。それを如実に表していたのがあの騷動と思う。もはや中共は、民衆の不満、鬱憤のエネルギーを、反日へ向くように仕向けることしかできないだろう。下手をすれば自分たちが危ない。
 ところが、北朝鮮の場合どうだろう。民衆には蜂起どころか、鬱憤を溜めるだけのカロリーすら無いように思っていた。本来ならとっくに瓦解しているはずの、腐り腐った独裁体制が完成した状況だと思っていた。しかし、警察や軍が出てくるほどの騷動を起こす。これは実に意外だ。国境線付近の貧村などならともかく、国の顔とも言える首都でのできごとだ。コントロールできない民衆が存在していたとは。
 とはいえ、これを額面通り受け取っていいものかどうかという話もあるだろう。何せ、自作自演や小芝居にかけても実績のある国のことだ。もはやワールドカップ本戦出場がほとんど不可能になった状況下。何らかの思惑で、日本と平壌で試合をしたくない。そのために、無観客試合や中立国開催への道を摸索したのではないか。観客、選手も含めて。
 ……というのは流石に考えすぎだろうか。あるいは、「政治をスポーツに持ち込むな」という論もあるだろう。しかしまあ、国があれば政治があり、国と国があれば外交があるのは当然。そこら辺を乗っけた上で、我々は国別対抗の運動会に、ときには熱狂もするのだ。果たして「絶対に負けられない戦い」は今後どうなっていくのか、興味は尽きない。