『ねじ式』/『義男の青春』つげ義春

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 さて、劉さんでなく李さん一家が住み着くのがつげ義春の二階。ついに代表作「ねじ式」を読んだ。『無能の人』(id:goldhead:20050321#p6)からつげ義春に入り、『貧困旅行記』(id:goldhead:20050404#p2)を読み、『紅い花』/『つげ義春とぼく』(id:goldhead:20050428#p2)ときて今回だ。そして、この順番で読んでよかったという気がするのだ。
 それは、「ねじ式」という作品のテイストのせいだ。もしもこれを一番最初に読んでしまったら、「たしかに凄いが、こういう不条理モノなのか」で終わっていたかもしれないからだ。これってどちらかというと、代表作というのにはちょっと極端な場所にあるものに思える。そして、この極端さは僕の好みのストライクゾーンからは少し離れている。そこを勘違いしなくてよかった、ということだ。かといって、「ねじ式」に「凄い」と思ったのは、まあ、思ったわけだけれど。
 では、どんなつげ義春が好きなのかといえば、「長八の宿」などの旅行ものだ。「ゲンセンカン主人」も「ねじ式」的な夢ものと旅ものがミックスされ好きだな。まあ、自伝的ものや劇画ものなどとハッキリ区分け出来そうでいて、どこかしらさまざまなテイストを含んでいるのが魅力なのだろうけど。「義男の青春」も、旅と貧乏自伝のミックスだし。そういや、この作品の舞台は湯河原だったか。湯河原は好きだ。
 そういう意味では、つげ作品の中にさまざまな後の漫画家たちへの影響(直接かどうかは知らないけれど)があることにもあらためて驚かされる。ある作品はねこぢる山野一のようにも見え、ある作品(というか「必殺するめ固め」)には根本敬の世界を垣間見るのだ。……と、ここまで書いて思ったが、そこらあたりはガロとかそこらへんの直接の系譜なんだろか? よく知らないのでわからない。まあ、とにかく他では横山光輝のようにも見え、水木しげるのようにも見え(当たり前か)、引きだしの多さと深さには唸るよりほかない。いや、驚くとか唸るとかいう雰囲気ではないけれど。
 そういえば、今回読んだ漫画のいくつかは、『つげ義春とぼく』の方で先に知っていた。そちらでは文字の夢日記だったものが、これまた色々な手法で漫画になっていて、こちらもこの順序で読んでよかったと思うのだ。そして、自殺の話も「別離」で漫画になっていた。この「別離」もまたグッと来た。なぜって寝取られ話だからだ。
 夢日記をはじめ、色々な女性に関する記述や作品を読むにつれ、つげ義春は寝取られの人だと確信していたけれど、「別離」は壮絶であった。文庫本の解説の女性は滑稽なこととして見ているようだけれど、「何回やったんだ」「生だったのか」というのはグッとくるところですよ。ここらあたりの具体的な惨めさを描くところがいいんだ。だから著者自身が傷つくのかもしれないけれど。そう、夢にせよ自伝的なものにせよ、何にせよ、とにかくリアルなんだ、何もかも。ここまでやられると、作品と著者の境界も曖昧なような気がしてくる。ここまでの人、ちょっと他には思い浮かばない。