加藤六月は松根油の夢を見るか

 昨夜遅くのテレビ番組の話をする。浅草キッドの「名門!アサ秘ジャーナル」だ。俺は浅草キッドは好きだし、この番組は面白そうだと思ってきた。しかし、いかんせん放送時間が遅い。俺はもう寝てしまう。それが昨夜はたまたま就寝時間に狂いがあって、幸いにも視聴することができた。ゲストというか、講師は元農水相加藤六月。名前は知っているが、その経歴ひととなりは知らない。水道橋博士によると、江田五月と並ぶ郷土の星という。
 加藤六月陸軍士官学校出身であった。終戦六十年のこの季節ということで、話題も当時の話に。しかし、七十九歳とは思えぬ若さとその語り口。しかし、終戦当時ぎりぎり二十前後の人が、今は七十九歳。もうしばらくすると、軍人としての戦争体験を語れる人もいなくなる。戦争体験を持つ政治家もいなくなるのだな。で、その中に松根油を掘った、という話が出てきた。
 松根油というと、他人事ではなくなるような気がする。俺の父方の祖父は京大出の化学博士だった。なぜ理系の博士号持ちから二世代経つと理科と算数に泣きが入る子が生まれるのかは血統の神秘というよりないが、ともかくその祖父が戦中に海軍大尉として所属していたのが海軍燃料廠。そこで松根油の研究をしていたのだ、というのが幼いころから祖母や父から聞かされていたことであった。もちろん、最初からそればかりやっていたのではないだろうけれど。台湾の高雄に居たというので、今ちょっと調べてみたら、第六燃料廠があった。ずばりそれだろう。そして終戦後、GHQの呼び出しを喰らう。祖父は遺言を書いて出向く。事情聴取され、自分の研究内容を話す。すると、刑罰どころか、同情されて帰ってきたという。本人の口から聞いたことはなかったが、ともかく我が家ではそういう歴史になっている。
 さて、話を加藤六月に戻す。戦況は悪化する。東京大空襲で焼け野原になった街も見る。それでも「神風が吹いて日本が勝つ」という確信があったという。その一方で、先に死にゆく特攻隊員の姿を見て、自分が死ぬことの確信も持つ。敵艦に体当たりするとき、自分は「天皇陛下万歳」と叫ぶのか、「お母さん」と叫ぶのか思いを巡らしたとも言う。特攻隊員については、自暴自棄気味なる人もいれば、一種の神々しさを放つような人も居たと語るのが印象的であった。そして終戦後、彼ら士官候補生は秩父の山奥に「軟禁」されたという。上官の中には玉音盤を奪いに行こうとか、そうした行動に出た軍人もいたという。何かで読んだことあるような気がするな。そして、解放。ここで番組は終わった。思わず加藤六月の語りに聞き入ってしまった。こうした語り、そのディティールをいかに後世に残せるかが何か大切ではないかと思う。要約されたり、編集された教科書や年表じゃ不十分だ。客観のふりをしているのも良くない。主観的なディティールだけが伝えられるものがある。俺はそう思う。