『“It”(それ)と呼ばれた子』デイヴ・ペルザー/田栗美奈子訳

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 検索でこの本の感想について調べて辿り着く人が、一日に数人いる。ひょっとすると夏休みの宿題ではなかろうか。俺は夏休みの読書感想文を、八月の終わりにネットに尋ねるような人は大好きだ。だから、思わず読書感想文らしく書き直してしまった。原稿用紙二枚組で、中高生を想定した。あたりさわりない内容であり、教師受けがいいようなものにしようとこころがけた。要素を適宜組みあわせるなどして活用してもらえれば幸いである、数人の若い人。もしもこれを丸写しして何らかの問題が生じたとしても、当方は一切の責任を負わない。夏休みの宿題は自己責任で。
Aパターン(本文774字)

「“It”と呼ばれた子」を読んで」
○年×組 ▲山■男
 この本の著者が虐待を受けたのは、何十年も前のアメリカでの話です。しかし僕は、この話を読んでいて、決してどこか遠くの話ではないと思いました。毎日のニュースで、多くの虐待事件が伝えられているせいばかりではありません。もっと身近な問題として、僕は切実に感じるところがありました。
 虐待を与える母親の心というのは、おそらく病気として扱われるような問題だと思います。あまり立ち入ることもできない気がしました。しかし、著者のクラスメートたちは別です。母親のひどい仕打ちによって、みじめな姿になり、人のお弁当を盜んだりする主人公。しかし、誰もその原因を気にかけたり、気にかけていたとしても、救いの手を差し伸べることはありません。とはいえ、彼らははた目には普通の子どもに違いありません。いや、内面だって普通の子どもだったと思います。
 そして僕は、僕自身が無自覚のうちにそのクラスメートのようになっていなかったかと自問すると、背筋が冷たくなるような気がします。もちろん、小さな時にわからないことも多く、まわりの様子に合わせてしまうのも仕方ないかと思います。しかし、だんだんと成長してきた今でも、果たして自分は困っている友達に手を差し伸べられるのでしょうか。それには、とても勇気がいることだと思います。
 しかし、一方で僕はこの本に勇気をもらったような気もします。著者は虐待から逃れたのち、立派な父親として子どもを愛します。虐待された人が、また自分の子を虐待する、なんて話もあるけれど、この著者は別です。それは、彼の持つ勇気によるものだと思います。虐待されながらも、めげることのなかった勇気。本当に命を失いかけながらもあきらめなかった勇気。そんな勇気に比べれば、困っている人に見て見ぬふりをしないことなんて、ほんのちょっとのささやかな勇気に過ぎないと思うのです。

Bパターン(本文786字)

「“It”と呼ばれた子」を読んで」
◎年□組 ▽田×子
 アンモニアを飲まされたらどんなことになるのだろう。母親にナイフで刺されたらどんな痛みが走るんだろう。この本の中でいやというほどくりかえされる虐待。文章からたくさんの痛みが伝わってくる。けれど、私は本当にそれを追体験することなんてできない。
 私はこの著者がとてもかわいそうだと思った。だけど、私はかわいい自分の子どもを傷つけずにはいられなかった、お母さんの心も一緒に考えると、本当に悲しくなる。何がいけなかったんだろう。ずっと家庭の役目を押しつけられて、お父さんを頼るしかなくなって、だんだんにいろいろなものがたまっていったんだと思う。
 いろいろな言葉が足りなかったんじゃないかとも思う。夫婦の間の言葉、家族の間の言葉。そんな言葉でわかりあえる関係があれば、虐待の記録なんていう悲しい言葉は必要じゃなかった。だけど、世の中には言葉にならない言葉だってたくさんあると思うと、胸が潰れそうな気持ちになる。
 そして、家族って何だろう。私は、家族は大切な存在で、ときに仲たがいがあっても、結局はお互いがお互いの心の支えになるものだと思っていた。けれど、もしも虐待を受ける子どもにそんなことを言ったら、より一層その子を傷つけてしまうだろう。「仲良し家族」という言葉が、時には誰かを傷つけてしまうかもしれない。そんな風に思うのは悲しいことだけれど、この著者みたいな目に遭っている子どもにとっては、やさしい先生に抱きしめてもらうこと、警察に保護されることの方がずっと幸せなのだから。
 最初はこの著者の家庭も、あたたかで「普通」だった。その「普通」は、何か大きなできごとがなくても、簡単に変わってしまう。その事実を前に、私は何ができるのだろう。今はまだ何もできないかもしれない。しかし、もしも社会の取り組みに、何か力になることができたらいいと思う。家族以上の言葉と、あたたかさで。