『デッドアイ・ディック』カート・ヴォネガット/浅倉久志・訳

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以下、まえがき9ページより引用

 この本に出てくる主要な象徴について説明しておこう。
 球形をした、だれにもかえりみられない、虚空な芸術センター。これは六十歳の誕生日を間近に控えたわたしの頭である。
 居住地域での中性子爆弾の爆発。これは、作家をこころざしはじめたころのわたしが大切に思っていた、インディアナポリスの大ぜいの人たちの消失を表している。インディアナポリスはまだそこにあるが、その人たちはいなくなった。
 ハイチはいまわたしが住んでいるニューヨーク市である。
 この物語の語り手である去勢された薬剤師は、わたしの衰えゆく性的能力である。彼が子供のころにおかした犯罪は、わたしがこれまでにやったすべての悪事である。

 P.K.ディックの小説でも買おうとして、うっかりこちらを買ってしまった。俺はしばらくの間、ヴォネガットを読んでいなかった。サイバーパンクを読み、SFのことを考えながらも、ヴォネガットは別の部屋にいた。俺はいつしか、ヴォネガットのことがこわくなっていた。俺は『デッドアイ・ディック』を読んでそれを再確認した。俺はヴォネガットよりこわい小説家を知らない。
 この小説の作品解説には「涙と笑いの感動作」とある。俺はこの小説を百回読んで、百通りのキャッチ・コピーをひねりだしても、この一言だけは出てこないような気がする。どんな登場人物の「のぞき穴」を覗いてみても、暗く暗く暗く暗い。ヴォネガットは人間を書く。人間しか書かない。銅の被甲付きの三十ミリのライフル弾。5ページから始まる「まえがき」の9ページ目で上の説明。一発も外さない、「必殺射撃人」。
 ユーモアとはなんだろう。コミカルならなんとなくわかる。ユーモアの語源はラテン語で「湿気」を意味するという。ところがどうだ、ヴォネガットの世界はどれだけ乾いていることか。そして、その一方でまったく冷たくない。ヴォネガットの世界では全ての人間が突き放されていて、同時に救われている。
 何を書いているのかよくわからない。これは、今まで俺が読んできたヴォネガットで、いちばん危険、そんな気になった。まことヴォネガットにはご用心。ピース。