松本人志はマテリアル・ガールの夢を見るか?

 今、職場のラジオからマドンナのマテリアル・ガールが流れてきて俺は俺の口元が綻ぶのを止められなかった。言うまでもなくガキの使いスペシャルの‘板尾の嫁’(id:goldhead:20051005#p1)を思い出したからだ。いや、思い出したというのは適当ではなく、イントロが流れてきてまず口元が綻んで「いったいなぜ俺は笑っているのか? この曲はなんなのか?」と思いめぐらせた上で‘板尾の嫁’の情熱のダンスを思い出すに至ったのだ。笑いは体が覚えていて脳は後から付いてくる。果たして彼ら罰ゲーム対象者はマテリアル・ガールに笑うか、あるいは泣くか。
 ついでに書く。ガキの使い、先週の放送は「利き焼き肉のタレ」であった。定番のシリーズであり定番だけあって面白い。案外身近なレクリエーションに見えて、その実やろうとする存外面倒くさそうなのが、いかにもテレビ向きか。結果として、松本が一人成功し、残りは全員乳を吸われた。しかし、思うのだがこの企画、だんだん共演者やスタッフの表情から正否を読み取れるようになってきやしないだろうか。‘計算ができる馬’クレバーハンスや二重盲実験の話。しかし、そんな厳密さが面白さに繋がるわけでもなく、また、成功率の低さからも余計な心配か。むしろ、あの表情のやり取りによる探り合いが面白いのかもしれない。世の中にはいろいろなバランスがあって、それで保たれている。