米をもらった話

 どこかの農家がうっかり精米をしすぎてしまった。とても家庭内では食べきれないので、親戚にドカッと送った。ところが、その親戚もちょっと前にお米を送られたばかりで、持て余してしまう。そこで、さらに別の親戚に送った。ところがその家庭でも食べきれない量なので、貧乏な若者に譲ってあげようということになった。その若者が俺であり、俺は最初の農家がどこの誰かなど知るよしもない。しかし、その農家の方のうっかりに深く感謝する次第である。
 というわけで、俺は労せずして(米を運ぶのは一苦労だったが)新米を手に入れた。一人暮らしとしてはかなりの量だ。これで当分の間、主食に関しては大丈夫だ、という量だ。日記を読み返すに、頂戴したのは十月の二十三日か二十四日なのだが、まだ減ったという感じがしない。思わず、普段の一食半合から、一食四分の三合に量を増すなど調子に乗っている次第である。
 ところで、今度いただいたお米は無洗米ではない普通の米である。米を研ぐ必要がある。試しに、「研がなかったらどうなるのか?」と人に聞いたところ「ぬか臭くてそのままでは無理だ」とのこと。なんでも、お子さんが無洗米と普通の米を勘違いして研がずに炊いたことがあったそうだ。チャーハンなどにして誤魔化したという。
 そうだ、そのエピソードは他人事ではない。金が無い癖に研ぐ時間を惜しんで無洗米を買い続けてきた俺だ。うっかり研がないで炊く可能性がないとは言えない。これには十分気をつけていこう。しかし、もう一つ問題がある。米の研ぎ方だ。美味い米を食いたい! などという大それた野望はないが、ちょっとでもマシな方法を知りたい。
 そこでググってみた。下手にブログを開くとフリーズするので、検索結果だけをバーッと眺める。どうも、「手首近くの手の平でギュッギュッとやる」「すすぎは素早く」「精米技術が進歩しているので執拗にやる必要はない」といったところのようだ。そうか、けっこうギュッギュッやるのだな。昔、『将太の寿司』を読んだ身としては「拝み洗い」などを実践してみたくもなるが、両手とも冷たいのは嫌だな。そうだ、やはり無洗米は素晴らしい。あまり素晴らしいと持ち上げるのはどうか? と問題点を指摘する声もあるようだが、やはり台所では素晴らしい。だいたい、研いですすぐ時に、少なからぬ損耗がある。それだけも耐えられない。罰当たりなことを言えば、どこかの農家の人が、次はうっかり無洗米を作りすぎることを期待しているのである。