ジャリスコライト

http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2005/12/08/01.html

 2歳G1のタイトルを獲ると種牡馬としての価値が高まるというオーナーサイドの選択でこのレースを使うことになった

 先週の阪神JFで俺が本命にしたのはアサヒライジング。血統も地味で人気も薄目だった。が、勝ったのはさらに地味血統で人気薄のテイエムプリキュア。そして今週の朝日杯FSで俺が本命にしようとしているのは、この十頭併せ馬も壮観なジャリスコライトである。上にアグネスデジタルがいて鞍上デザーモ藤沢和雄厩舎所属というピカピカの馬だ。別に裏をかいたわけじゃあない。何とはなしに好きな馬ってのはいるもので、ファンタスティックライト産駒というのもいいし、この馬の名前もいい。本命はこれだ、とアサヒライジング的に決めつけてはいた。が、上のコメントがちょっと気になる。
 おおむね一般的な見解として、クラシックを目指す馬は二歳時に距離短縮をすべきでない、というのがセオリーだ。千六でデビューしたら、千八、二千とローテを組むべきで、逆は好ましくない。ところがこのジャリスコ、千八デビューから次に千六のいちょうステークスを使って朝日杯。藤沢和厩舎といえばセオリー破りで時に賛否を巻き起こすが、これは藤沢流でもないはずだ。
 あ、思い出してきたぞ。前走出走時の新聞にも、この厩舎が中一週で二歳戦を使うのは異例だ、みたいなこと。そうか、オーナーサイドの意向は、朝日杯のみならず、その前の一戦も逆算のうちだったわけだ。
 とはいえ、「オーナーの都合でレースを選ぶ」ことの是非に俺は興味ない(つーか、たとえば日刊スポーツあたりの記事じゃ、オーナーの意向という文字は見あたらないし)。ただ、馬券的にどうなのか考えるばかりだ。しかも、そこから導き出されるのはどうにもあまり見分けようがない、という感じ。天覧競馬だからとねじ込んだアドマイヤグルーヴが三着したり(この時は天皇陛下が回避)、あるいは誰も調教師が預かりたがらなかったテイエムプリキュアがG1を勝ったりと、まあなんだかわからんのだ。だいたい、ジャリスコにしたって実は中山千六がピッタリのマイラーでした、みたいな可能性だってあって、未来のことがわからないのは誰だって一緒なのだ。不可知の三文字が重く横たわるのみ。
 ああ、しかし、そう言ってしまえば調教師の流儀もオーナーの打算も我々の馬券も虚しいものとなる。見えないものを見ようともがくところに何かがあって、時に見えたものに結果がついてきたときの全能感は何ものにも代えがたい。あのファンタスティックな光に一度でも照射されてしまったから、みな競馬から離れられない。ああ、どうしたものか、煩悶はつきない。時間だけは確実に尽きて、それが救いといえば救いなのである。