大河ドラマ『義経』最終回

 先週見たので、ついつい最終回も見てしまいましたよ。しかしなんですね、英雄義経最後の戦い、手勢はわずか五人でしたか。なんというか、百人単位くらいは居るのかと思っていましたが、やはり流浪の後なのでそういうわけでもなかったのでしょうね。もちろん、ドラマとして主従の関係を強調されるのかもしれません。で、最終回の大部分は次々と討ち死にしていく彼らの姿で占められていたように思います。何の花でしょう、ハラハラと散っていく様が印象的でした。
 そんな風に、食い入るように見ていた私ですが(南原清隆の死ぬシーンの動作は、何か伏線あってのことと思いますが、少し長かったとは思いました……)、その、肝心の義経様自刃のシーンで、このドラマのファンの方には申し訳ないが、少し吹いてしまったのです。いきなりお堂がドカーンて。その直前の滝沢君のアップにたえる表情も台無しです。その後、弁慶人形に矢が刺さるシーンにも畳みかけられた。冒頭数回と最終回一個前と最終回だけ見てケチをつけるのはよくないのかもしれませんが、あれはちょっと無いでしょう。弁慶の立ち往生に向かって盛り上がった感情が、ある意味立ち往生してしまう。なんだあの安いダッチワイフみたいなのは、と。
 文句ついでに言えば、多少、その、うつぼがやはり浮いているという、初期に感じた印象が拭えませんでした。そりゃねえ、ツッコミ側とは言わないけれど、そういう役割の人もいるでしょう。しかし、なんかドカドカ踏み込んで直球すぎというか何というか。ただ、最後に琵琶法師に話に繋げるのはよかったですかね。共同体の歴史の語り部が、共同体の外の人間であったという不思議さですね。けど、それはドラマとはあまり関係ありませんか。関係ないけど引用しましょう、赤坂憲雄『境界の発生』から。

あらかじめ<歴史>の側から拒まれながら<歴史>語りの正統的担い手でもあるという、限りなく引き裂かれた宿命を負い、琵琶法師は平家語りの漂泊の旅を続ける。まつろわぬ平家の怨霊の鎮撫がほかならぬ盲人に託されたことは、平家の亡魂こそがあの時代、“まつろわぬもの”としてもっとも激しく祟りなすと意識されていたからだろうか。

 そうか、『義経』においては義経の話を継ぐように見えたが、一番のおおものは平家でしたね。ところで、源義経は祟ったのでしょうか。探したら、こちら(http://www.st.rim.or.jp/~success/mikubi_ye.html)のようなエピソードがあるようです。やはり祟りましたか。ドラマでは爽やかだったのですが(最後の山野を駆ける姿、もうちょっと光らせても良かったのでは。あるいは、幼少時の方で)。しかし、おお、また腰越ですか。私は腰越の近くの出身ですからね。しかし、ギュスターヴ・モローの「サロメ」でもあるまい、さすがのタッキーも朱塗りの生首になってピカーッとなるのはさすがに厳しいものがありますか。
 というわけで(どういうわけかわからないのですが)、『義経』が終わってしまいました。『新選組!』と二回続けて悲劇的な終わりの主人公でしたか。次は『功名が辻』ですか。『利家とまつ』みたいな感じですかね。今、残念ながら気持ちが戦国時代には向いていない。それを見ようと思うモチベーションは今のところほとんどありませんが、果たしてどうなることでしょう。ドカーン。