Virtual Insanity?

http://www.nikkansports.com/ns/general/f-so-tp0-060130-0015.html

捜査本部は、富貴容疑者がインターネットの掲示板を通じて片山容疑者に殺害を依頼したとみており、報酬や動機について調べている。

 インターネットを通じて自分の父親殺しを他人に依頼したことが明るみに出て、被害者の息子と実行犯が逮捕されたというニュースである。昨夜と今朝のテレビでは、これを格好の餌食とばかりにネット批判の警鐘を叩きまくっていた。
 そもそも俺は、ネットでちらほら見かけるような‘マスゴミ’批判みたいなものに鼻白んでしまうタイプで、「おいおい、ネットってそんな大したもんじゃねえだろう」とか思ってしまう。テレビもネットも新聞も平等に価値がないんじゃないか、どちらも両生類の糞をかき集めた程度の価値もないんじゃないのか。
 だけれど、だ。この件をネットの闇とするテレビの反応はさすがに的はずれと思ったわけだ。報道ステーション古舘伊知郎は、この件をヴァーチャル、ヴァーチャル言って、今朝の鳥越俊太郎も「殺人を他人に依頼することで自分では手を下さず、殺人への抑制が効かない」云々。
 あのね、この件のどこがヴァーチャルなのか。もしも、犯人が、父親のネットゲーム上のキャラクタを誰かに抹消依頼したんならヴァーチャル殺人かもしれない。あるいは、百歩、百歩ですよ、百歩譲って、腕っこきの《ホットドガー》に依頼して、≪ジャック・イン≫中の父親の隔壁を≪アイスブレーカ》でぶち破って、自律神経系を切断して遠方から殺したとかいうのならばヴァーチャル殺人でもいいだろう。
 けれど、この件は鈍器で殴って殺しているわけじゃないですか。鈍器の重みを感じる犯人の手はリアル、振りかざす筋肉の動きはリアル、インパクトもリアルで、被害者の痛みも血も呼吸が止まるのもリアル。残された死体もリアル。どこがヴァーチャルだ? それに鳥越、お前、自分の手を汚したくないから他人に殺しを依頼するなんてのは、人間の歴史と同じくらい長いもんじゃねえか。ネットだから抑制が効かない? ネット上の掲示板でどれだけ罵り合いになって、ついカッとなってガラス灰皿で相手をぶん殴ったところで、テメェのモニタ粉砕するだけじゃねえか。よっぽど安全だ、違うか?
 もちろん、依頼者と実行者をつなぐ新しくて便利な媒体としてのネットってのは正しい。何かしらその殺人計画者にとっての便利さを阻害する仕組みが必要だろうし、警察が捜査において対象者のログに着目することも必要だろう。ただ、それは単に新しいメディアが出てきたというだけで、その本質に殺人を後押しするようなものを見いだす理由にはならないだろう、と。人は人を殺してきたし、これからも人は人を殺す。ネット関係ない。
 それに、むしろ「ヴァーチャル、ヴァーチャル」連呼する方が危険な煽動だ。ネットの向こうには人か犬かも分からないが、とにかく血肉の存在がある(あるいはみんなスクリプト?)。それを踏まえられない馬鹿がネットで人に迷惑をかける。「ヴァーチャル」言うことは、そこを見誤らせるんじゃないのか。テレビに出て顔かたちが見えるから、自らの血肉の存在性が明らかになったような気になっているのか。そこのところはよくわからないが、例えば白地の紙に黒い字が書かれているだけでも、そのメディアの向こうには人間がいる。顔が見える見えないなんて大した差じゃない、メディアなんてのはみんな一緒なんじゃないのか、違うのか? 
 というわけで、なにやら変にいらいらしてしまった。あるいは古館が麻生太郎なんていう、面白い話を引き出すには第一級の素材である麻生太郎を前にして、ろくなトークもできなかったせいかもしれない。それでも俺はテレビが好きだからテレビを見る。今日も明日も明後日も。