タイピング・デッド

goldhead2006-02-06

 土日はアパートにPowerBook持ち帰ってお仕事の宿題。手書き原稿のタイピング。たかをくくっていたら、予想以上に時間が掛かって、終わらなかった。過信だった。
 しかし、手書き原稿、これは厄介だ。手書きだと、書いている人のルールが適用されやすい。空のマスや偶然の改行で勝手に文章のリズムを組み立てられても、それを打ち込んで流し込むときに反映させるわけにはいかない。きちんと句点・読点でやってくれ。
 もちろん俺自身、ワードプロセッサが完全無欠の文章を書くためのツールだとは決して言わないが、やはり手書きにはよほどの洗練と訓練が必要なように思える。足りない点、そこを機械の補佐に頼ってしまえばいい。たとえば、用字・用語の統一なども、変換の履歴に頼ればいちいち確認せずとも楽にできる。
 しかし、人の文章を打ち込むというのは恐ろしい行いだ。脳が破壊される、などと言っては大げさだけれど、かなり乗っ取られたような気になる。乗っ取られて、気持ちいい、乗っ取られたい、文章ならいいが、そうでなく、書いている本人もろくでもないと思っているまたは思っているならまだいい方でそんな自覚もない文章などは本当に御免被りたくOCR技術の更なる発展を願わずにはいられない。

追記:さらに残り分、一日中打った。やはり手書きのよくないところは、書き直すのが面倒なところだろう。この原稿は鉛筆書きで消しゴムが使えるが、そんなに便利なものじゃない。原稿用紙に後から赤を入れるのも同じこと。簡単に書き直せる。あるいは、部分を選択してカット&ペースト。すごく便利。この便利がないと「まあいいか」になる。原稿用紙の空の四角四角四角を見て、きちっと分量に収めるような文章力、それはかなりの次元。少なくとも俺は無理。やはりパソコン便利。手書きの良さ云々できるのは、ホンモノの人だけ。あるいは根気よく手書きで清書できる人。パソコン使う、これ良い。手書きよろしくない。少なくとも俺、原稿書いた人、手書きよくない。心底疲れた。左手が変だ。今日はここまで。