『ラヂオの時間』&『ハイ・クライムズ』

 珍しく二晩も続けてテレビ映画を通して見られたのでメモ。どうせ二晩なら、同じ三谷幸喜の『みんなの家』が来るべきだが、来なかったのだから仕方ない。
 さて、その三谷の『ラヂオの時間』。もう十年近く昔の作品になるのか。これは、レンタルが始まると同時に借りてきて、返す前に二回も見た。二回も見るくらい気に入る映画なんてのは珍しい。そういう記憶。それで、今回本当に久々に見てみたら、「あれ?」と思うくらいしっくりこない。たぶん大笑いしたであろうところで笑えない。うーん、これはワシの体が大人になったということじゃろか。まあ、それでも最後まで見てしまうのだから、面白いのには違いない。ラストの布施明の歌は最高だな。
 で、『ハイ・クライムズ』。見るからにB級的というか、ろくでもなさそうな雰囲気だったけれど、冒頭で主演女優の下着姿など出てきて、思わずチャンネルを合わせてしまった。ああいうのとか、ちょっと乳首が浮き出たTシャツ姿とか、こういうのはかなり視聴率に影響すると思うが、どうだろう。男性諸君には納得していただけるかもしれないが、女性諸氏には冷たい目で見られそうだ。あるいは、ある種の男性には「おばさんじゃん」などと言われてしまうかもしれない。白人女性はハイティーンまで、いや、ロウティーンまで、そうじゃないプレティーンだ(←犯罪)とか。しかし、私の言いたいところは、あのくらいの余計なところが落ちたあたりがいいのだということだ。いいじゃないですか、アシュレイ・ジャッド。そして、妹役のビッチぶり。
 いや、肝心の内容を……ってあまり肝心じゃないかもしれない。設定スケールの大きな火曜サスペンス劇場という感じ。いや、オチまで完全に読めたとは言わないが、すてきな安っぽさだ。モーガン・フリーマンモーガン・フリーマン的な役で収まっていていい。海兵隊のオイル撒きシーンのショボさなども心打たれる。あなた、ハートマン軍曹が見ていたら、激怒のあまり死にますよ。
 というわけで、俺は幸いにもハートマン軍曹じゃないので死ぬこともなく、ポケーと楽しんだ。映画なんてこんなもんでいいんじゃないのか。俺としてはかなり肯定的な意味の「こんなもん」。しかし、ハリウッドあたりでの費用などを考えると、こんなもんじゃだめだろう、という話もあるかもしれない。
 最後に、上記二作品を見て思った共通の事柄。携帯電話ってのは厄介な小道具だな、って。ちょっと古いともう、かなりの違和感を感じるほどのビッグ・サイズ。しかし、現代劇をやる以上、外すわけにはいかない。いや、別に映画が同時代作品を作るときに、同時代以降のデザインその他をくみ取る必要はないし、くみ取れって方が無理だろう。しかし、なんだ、数年でこれだけ進歩してしまうか、みたいな。それをいったら、コンピュータとかも厄介だ。この点では、いくらか脳内補間できるSF小説などの方が、小道具的な賞味期限は長いのかもしれない。