広島・松本が石橋貴明との合体熱望…母校の先輩で名前も同じ
http://www.sanspo.com/baseball/top/bt200602/bt2006020912.html
広島の大ファン、極楽とんぼ・山本圭壱から、「入団の時から石橋さんが気にかけているよ」と聞かされていた。まだ会ったことはないが、同じタカアキとして、ずっと気になる存在だった。
我が広島カープの松本高明が、大活躍して帝京の先輩・とんねるず石橋の番組に出たがっている、という記事である。山本圭壱という妙にリアルな(というかリアルか)な橋渡し役の名前で肉付けされているが、まあとにかく躍進を期待するばかり。
……というのは置いといて、前から気になってるのが「合体」である。ほとんどスポーツ紙でしかお目に掛からないが、これがどうにも引っかかる。試しに、紙名と「合体」で検索して出てきたものを列挙してみる(もっといい確かめ方があるかもしれんが、どうでもいいや)。
なんとまあ、世の中合体だらけである。いつも誰かが誰かと合体を熱望している、合体型社会と言えるかもしれない。うーん、違和感。しかし、この用法について辞書を引っ張ってきて「おかしい」と言えるのか言えないのか俺にはよくわからない。しかし、思わず『釣りバカ日誌』を引っ張ってきてしまい、嫌な光景を想像してしまうのは俺だけではなかろう(要するに違和感とはこれのことなのだが)。
で、この「合体」。俺が勝手に想像するところでは、プロレス面由来の言葉じゃないかと。要するに「合体技」→コンビ結成や軍団加入を「合体」→協働・協力・合流一般に「合体」、という流れではないか。まあ、この想像が当たりだろうとはずれだろうと、今後もスポーツ界は六神合体以上に合体を繰り返すことは想像に難くないのである。