どういう心構えで日本対ブラジルを見るか

 日本対ブラジル。見る人によっていろいろな見方があると思う。中には「どうせならブラジルにこてんぱんにのされて、日本サッカー界を見直す機会にすべきだ」という見方もある。日本代表の大敗を、川渕キャプテン批判、商業主義批判、コマーシャリズム批判の材料にすべきだという考え方である。もちろん、日本サッカーがよりよくなるために、という思いがそこにあるならば、俺は、この手の考え方を理解できないわけでもない。しかし、かといって今回それに乗る気もおこらない。
 俺とカープの例。「どうせならぶっちぎりの最下位にでもなって、山本浩二が解任されて、オーナーも考えを改めればいい」とか考えたこともあった。しかし、そういう見方はあまり面白くないし、不毛だと気付いたからだ。好きなチームが勝ってすなおによろこべず、負けて喜ぶようなマゾヒスティックな感情は、ぜんぜん前向きじゃあない。「あのときの大敗がきっかけになった」とかいう美談は、立ち直ったりなんなりした後に回顧すべきものであって、この先の話について手段のように論じるべきじゃあないと思うのだ。
 もちろん、スポーツの見方なんて十人十色で当たり前。どうしようと他人がとやかく言う話じゃあない。これは俺のチョイスだ。さらにチョイスを進める。では、「ドルトムントの奇跡」を純粋に信じて応援しようか。うーん、これもちょっと性に合わない。だいたい、「奇跡」は文字どおり「跡」であって、「あれは奇跡だった」とかいうエピソードは、実際に起きたあとに回顧すべきもので、この先の話について持ち出すのはどうかと思うわけだ。いや、髪の毛一本、奇跡的な可能性なのは否めないし、また、ゼロではないのも確かなのだけれど。
 では、奇跡の方は脇へよけておいて、一つの試合として眺めるか。となると、まあ、強敵に挑む日本を応援する、といういたって普通の結論になるか。もっとも、ワールドカップだけ見ようっていうミーハーなのだから、それで当たり前か。うん、そんなところか。
 ああ、でもねえ、やっぱりカタルシスは欲しいな。となると、ブラジル相手に激勝か、となると厳しい。白黒はっきりつけようとしても、黒大きすぎる。となると、大敗か、となると最初の話に戻ってしまうか。うーん。困ったな。困ることもないけれど。まあ、なんでもいいけど、とにかく、そうだな、日本のゴールシーンがあの中村俊輔のなんとも言えないシュートっぽいものだけでは寂しいので、びしっと一本決めてくれ。うん、そのあたり重視で。