日本代表対トリニダード・トバゴ

http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/kaiken/200608/at00010195.html

 うれしい誤算とは、さっきも言ったとおりスタジアムが満員だったこと。満員だったということの重要性をご理解いただけない方が、もしこの中にいらっしゃるなら(この仕事を)お辞めになった方がいいと思う。

 やりとりの流れから見ても「うれしい誤算とは具体的に何か?」という質問は妙なものに思える。それに対してオシムは、回答した上でちくりとやったのである。これが中田英寿だったら「話聞いてました?」となるところ(id:goldhead:20060704#p1)かもしれない。しかし、だからといって中田の方が厳しいと言えるだろうか。必ずしもそうとは言えないのではないかと思う。
 そういうわけで、これもよく言われることであるが、オシムに立ち向かっていくにはマスコミにより精確なサッカーその他の知識が必要になるということである。では、ファンはどうなのか。私のようにワールドカップや日本代表の試合を地上波で見る程度で、いつまでたっても「この試合はこうだった」と自分の言葉で語れないファンはどうなのだろうか。しかし、私は見るだけの者であって発するものでも伝えるものでもない。見るだけならば目玉が二つあれば十分ではないだろうか。しかし、そのとき脳は何をしているのか?
 私が昨日見た日本代表は、ひたむきだったと思う。ひたむきで真面目に見えた。真面目な生徒たちに見えた。素人の浅い理解から推測するに、ジーコの後にオシムというのは、オシムの良さを引き出す最良の状況ではあるまいか。乾ききった砂の入った壷に水を注ぎ込むようなものである。あるいは、選手だけでなく、マスコミも、サポーターも、にわかファンも、何かに乾かされていたのではないだろうか。水がしみこみ、乾かざるものとなると、それは甘露をたたえた井戸になるのではないだろうか。前任者は必要とされる呼び水を持たず、井戸から水をくみ上げるばかりで乾かしてしまった。この井戸には彼の望むだけの水は貯まっていなかったのである。潤っていた方が望ましいのは、スポーツも、「ま」で始まり「こ」で終わる三文字の身体部位も一緒ではないだろうか? もしこの中に「まなこ」以外のことを思い浮かべてた方がおられたら、放出した方がいい何かを貯めているのではないかと思う。