十八年後の佑樹君たちへ

http://highschool.nikkansports.com/2006/koshien/news/p-hb-tp1-20060822-0003.html

早実のエース、斎藤佑樹(3年)は前日(20日)の延長15回引き分けの疲れも見せず、この日も完投。18日の準々決勝から4日連続完投で、今大会7試合、69イニングをほぼ1人で投げ切る鉄腕ぶりを発揮した。

 斎藤投手の力投を、ただ誉め称えるだけでいいのでしょうか。考えてみてもください、炎天下の甲子園で、体も完成していない若者が、プロならとてもじゃないが投げないような試合間隔、そして球数を投げさせられるのです。この斎藤投手が今後どうなるかわかったものではないし、かつて酷使され、潰されてきた多くの逸材のことも思い返してください。まさに死屍累々、夏の甲子園は無惨な投手墓場です。その結果、日本の野球はどうなったと思いますか? ワールドベースボールクラシックで優勝しました。
 ……というわけで、俺は高校野球の、甲子園のあり方の根本的なところに批判的でない。他の競技がうらやみ、「野球さえなければオリンピックの金メダルがもっと増える」とまで言われる野球人口。それを支える大きなところを担うのは、むしろトッププロでなしに高校野球ではないだろうか。甲子園の狂気、甲子園の魔力。それに魅了され、我が子に大輔と名づける親たち。その過剰さと苛烈さが日本野球を鍛えてきた。WBC=世界一とは言えないにしても、野球の母国アメリカにも、国家規模で野球をやっているキューバにも引けを取らないものであるのは確かだ。それら選手が生まれ育った日本には甲子園があって、その中で野球をしてきた。甲子園への出場経験は問題じゃない。その土台となる文化に甲子園がある。
 したがって、俺は「夏の甲子園」自体は不動でいいと思う。単なる場所の問題、季節の問題ではない。あそこは霊場であり、祭りの場である。霊力が失われれば、日本の野球呪縛はとけてしまう。ただ、このままでいいとも思わない。どう考えても引き分け再試合が即翌日というのはおかしいし、そもそも試合間隔はもうちょっと余裕をもってもいいはずだ。球数制限に関しては微妙だ。アメリカの学生野球などではあたりまの話だとWBCの際に紹介されていたが、理解は得られるだろうか。それに、高校野球の選手たちは、プロへの練習施設として高校の野球部に入るのではなく、高校野球で結果を出すことを求められてスカウトされ、契約するのである。高校野球で結果を出すためのプロフェッショナルである。それが高校野球で出し惜しみしては本道に反する。しかしまあ、これだけの規模の商業イベントなのだ。ガンガン金を投じて、世界最新鋭のケア施設やスタッフを用意してしかるべきである。ただ、いずれの改良も、甲子園の魔力を減ずるものであってはならない。
 ……というわけで、俺の高校野球、あるいは名門校に対する意識はたいへんゆがんでいる。しかしながら、今さら大会の健全な建前と実状の差を非難したところで、何の意味があろう。みんなわかりきった話だ。わかりきった上で、野球をやるやつが高校球児になって、燃え尽きるやつは燃え尽きて、それでいいんじゃないのか。