ポケットの中の政争

goldhead2006-11-09

 アメリカの選挙だなんて大きな話はいたしません。私の通勤路のささやかなお話です。私の通勤路のあちらこちらの家々、アパート、ビルに貼られたポスターのお話です。以前メモしたものの続きとなります(id:goldhead:20060913#p1)。
 くだんのポスターたち、相変わらず存在感を示しています。あれから雨も降れば風も吹いた、晴れたら晴れたで日射しがあたる、そんな中にあってもいっこうに劣化しない。よほど頑丈な紙を使っているのか、あるいは人知れず新品と貼りかえているかはわかりません。そして、毎日ポスターの中の彼女らの視線の中を歩いていると、まるで監視されているような妄想にもかられます。今は1984年、ビッグブラザーは見ています。おはよう。
 しかし、ここにきて大きな変化が起こりました。ある一軒家の塀に貼られた偉大なるポスター。ポスターはそのままです。そのままなのですが、その横に別の思想集団、別どころか反対側にあっていがみ合っている党のポスターが貼られていたのです。私はそれを見て、「Ура! いいぞ、くそったれ!」と思ったものです。続いてかどうかわかりませんが、別の家では日本で二番目に大きい党のポスターが並んでいました。
 これはどうしたことでしょう。私は、「ポスターが貼られている家=そのポスターを信奉する人たちの家」と思いこみ、またその勢力の大きさに恐れをなしてきたのですが、勘違いだったのでしょうか。すなわち、それら家々は「頼まれて断れなかった」という場合だってあるということです。しかし、そうだとしても二番目にポスターを頼んだ連中は大したものです。場合によっては敵対勢力の家に乗り込んで自分たちのポスターを貼らせろ、ということになるのですから。あるいは、日ごろの諜報活動の成果なのかもしれませんが。
 いずれにせよ、そうなったら、第三、第四のポスターが貼られていく可能性もあるでしょう。その結果、私は小さなビッグブラザーの恐怖からは解放されるやもしれません。しかし、しかしですよ、頼まれたら断りにくい人たち。今度からは「そういうのはすべてお断りしていますから」と言ってくれはしませんか。マイナスにマイナスをかけてもプラスに転じるとは限らない。この場合は景観からどんどん引き算されていくだけのように思えます。そして、いろいろの党の方々、こういうのは、選挙のときだけというふうにはいきませんか?